1月6日に初回が放送されたNHK大河ドラマ『八重の桜』が注目を集めている。大河ドラマ史上最低の平均12.0%と視聴率で惨敗した『平清盛』の後釜の脚本を託されたのは、2010年に放送された『ゲゲゲの女房』で“朝ドラ再建”のきっかけをつくった脚本家の山本むつみさんだった。
これまで大河ドラマの主役といえば、織田信長や豊臣秀吉といった、誰もが知っている戦国武将や将軍がほとんど。平清盛もその例に漏れない。
対して、新島八重は歴史的な知名度は低い。ご当地である会津若松市役所の「八重の桜プロジェクト対策室」江川忠室長もこう言う。
「大河が決まる前は、会津でもあまり八重のことは知られていませんでした。30年ほど前に、日本テレビで放送されたドラマ『白虎隊』でスーちゃん(田中好子さん、享年55)が忍者姿で演じていたと聞き、“あれが八重か”と思い出すくらいで…(笑い)」
そんな新島八重とは、一体どんな人物なのだろうか。時は今からおよそ170年前の幕末期に遡る。福島県会津若松の砲術家・山本家に生まれた八重は、父・権八(松重豊・49才)や兄・覚馬(西島秀俊・41才)の影響で、鉄砲や大砲を駆使する砲術に子供の頃から親しんだ。
『幕末会津の女たち、男たち』(文藝春秋刊)で八重を描いた作家の中村彰彦さんが語る。
「八重は体格がよく、13才で米俵を右腕と左腕にひとつずつ担ぐほど力持ちだったといわれます」
当時、男子は武芸、女子は機織りなどの家仕事を訓練するのが一般的だったが、八重は機織りに加えて砲術も身につけた。山本さんは、ここに八重の“真っ直ぐな頑固さ”を感じ取ったという。
「あの時代に女性が鉄砲を撃つってことは、実はものすごいことなんですよね。特に会津藩は武門のお家柄で、“ならぬことはならぬ”という厳しい精神で律せられています。女性が鉄砲を学ぶなど許されなかったでしょうし、周囲からは奇異な目で見られたはず。実際の経緯はよくわかりませんが、彼女がその壁を乗り越えたということは、鉄砲のことがとても好きで、どうしてもその気持ちが抑えられなくて始めたのだろうと想像しています」(山本さん)
※女性セブン2013年1月24日号