1970年代に流行歌手として華々しく活躍を始めた歌手・森進一。当時は常に醒めた目があったと告白した。続けて、その特徴的な森の“声”についてジャーナリスト・鳥越俊太郎氏が訊く様子をジャーナリストの山藤章一郎氏が綴る。
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──時代は歌手・森進一にとってどう変遷してきましたか。
「運が良かったんです。30過ぎた歌手なんて完全に枠外、圏外。
ところが聞くものだった歌を素人がカラオケで歌うようになった。すると歌番組が出てきて仕事がある。ギターも弾かない、スタジオもない、立派なオーディオさえない。ぼくほど努力をしていない歌手はいないのに、時代は居場所をつくってくれました。
なぜ居場所があるか、考えたんです。いまはみんなハイトーンの時代です。いきなり、高いですよ。アメリカでもみんなテンションがあがってる。心のバブル、〈いきなり高い〉の時代なんです。バラエティでも高い声でみなさんしゃべりつづけてるでしょう。
声の質ばかりか、色も派手でカラフルになってきた。自己を強く主張する人ばかりで、謙虚という言葉など時代遅れです。そしてなんでも使い捨てになってきた。人間も非正規雇用、使い捨てです。
よくカラオケで『さあどうだ』って歌う人がいますね。でも、ああいう歌ほど嫌われる。歌は、演説じゃない。中にあるものを中から出す。歌手もスポットライトをパァッと浴びて勘違いする。すると、歌がおかしくなる。これが分かると、歌の世界の自分の立ち位置が決まります」
──しゃがれ声をどう思っていますか。
「しゃがれ声ってのはね、出口です。声帯からこうやって出てきて、喉のところでパッとしゃがれる。
問題は声ではなく、人間の質なんです。人間の声ってタテ糸とヨコ糸の織物にできてる。口先で歌うのは、ヨコ糸だけなんです。
物ごとも人生もみんなそうでしょ。そのときだけの会話はヨコ糸でいいんです。でも会話が深くなってくると、人生やみんなの歴史が出てくる。それがタテ糸です。
10年前はああだったよな。そう語り合って、会話にタテ糸ができ、織物になる。声も歌も人生もこの深いタテ糸が要るのに、いまはタテがほとんどないでしょ。考えずに、思いつきをヨコ糸でしゃべっているだけ。軽薄な時代です」
※週刊ポスト2013年1月25日号