現在、世界的に『007 スカイフォール』がヒットしている。英・諜報機関のエージェント・ジェームズ・ボンドを描いた同シリーズだが、日本に諜報機関がないことは、スパイ映画の楽しみ方にまで影響を与えるものらしい。諜報の世界に詳しい作家・落合信彦氏がスパイ映画の楽しみ方を語る。
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人気シリーズの誕生50周年を記念して制作された映画『007 スカイフォール』が全世界で大ヒットとなった。
シリーズ23作目となる今作にいたるまで、英諜報機関・MI6のエージェントであるジェームズ・ボンド役を演じた俳優は計6人にのぼる。こうしたかたちで半世紀もの間、人々に愛されるシリーズもなかなかないだろう。
歴代ジェームズ・ボンドの中で、最も印象に残る俳優を挙げろと言われれば多くの人が初代ボンドのショーン・コネリーと答えるのではないか。彼はシリーズ第1作である『007 ドクター・ノー』の世界的な大ヒットでスターダムにのし上がった。確かに、大人の男の魅力に溢れる演技は観る者の心を奪った。
ただ、このシリーズが大ヒットした要因としては俳優の素晴らしい演技に加えて、小道具まで含めたディテールがきめ細かく描かれていた点が挙げられるだろう。例えば、『ドクター・ノー』ではボンドが使う拳銃の種類は「ワルサーPPK」であった。
実はイアン・フレミングの原作の時点では、ボンドは「ベレッタ」を使っていたのだが、原作の熱狂的ファンである拳銃マニアが、「ベレッタは女性用の銃で、ボンドが使うのはおかしい」と意見し、それが映画化の際に採用されたのである。
こうしたファン思いのディテールは今も受け継がれている。最新作を観た読者諸兄であれば、今作でもボンドはQ(秘密兵器開発主任)からワルサーを支給されていたし、敵方に属す美女がベレッタを持っていたことを思い出すのではないだろうか。他にも機関銃などが仕込まれた「ボンドカー」も人気を博し、実際に映画で使用されたアストン・マーティンがオークションで400万ドルという価格で落札されたこともある。
ただし、こうした魅力はあくまでエンターテインメント作品として優れているということであり、当然のことながら『007』はあくまでフィクションだ。現実の世界での諜報活動にジェームズ・ボンドのような男はいない。
映画でリアルな諜報の世界を描いた作品としては、むしろ私がお薦めしたいのは1965年に公開された『寒い国からきたスパイ(The Spy Who Came in from the Cold)』である。名優リチャード・バートン演じるMI6エージェントが東ドイツに潜入するというストーリーだ。どんでん返しを楽しめる筋立てなので、面白く観てもらうためにここで細かい内容については触れない。
ただ、諜報活動の世界に生きる者の現実がよく描かれている。敵国に潜入するための地道な偽装工作や、裏切りと謀略の中でミッションを達成する難しさ、そしてたとえ作戦が成功しても決して手放しの幸せを手に入れられないという過酷さそうしたリアルな諜報活動の一端を知ることができるだろう。
諜報機関が実際に存在する国々では、ある程度、「リアリティを求めたスパイ映画」と「エンターテインメント性を追求した作品」が区別されてそれぞれ楽しまれている。一方、そうした機関と縁のない日本では、十把一絡げに「すべておとぎ話」と受け取られているように思えてならない。私は20年以上にわたって、「日本に諜報機関が必要だ」と主張してきたが、“諜報音痴”ぶりは映画の楽しみ方にも影響を与えている。
※SAPIO2013年2月号