兵庫、香川、滋賀で平穏に暮らしていた4家族を離散させ、死者・行方不明者は10人を超えるという犯罪史上最大級の尼崎事件は、主犯格・角田美代子の獄中死という最悪の結末を迎えた。事件発覚から3か月――。気鋭のノンフィクション作家・石井光太氏がその人生を追った。(文中敬称略)
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一九九〇年代の後半、尼崎の南部の町は、バブルの崩壊と阪神・淡路大震災を経て全盛期とは比べるべくもないほど衰退していた。国鉄尼崎港線は廃線になり、飲屋や歓楽街はシャッター街と化した。震災によって傾いた家は一部そのままになって残っており、通行人もまばらだ。
現在の尼崎の生活保護受給率三・九九%は、県下で最も高い。地元の福祉関係者によれば「尼崎の南側は、戦後に集団就職でやってきた人々が工場の閉鎖とともに職を失い、生活保護や障害者年金を元手に飲み歩いていることが多い」という。また、大阪の貧困者が生活保護の申請が簡単に通るという噂を聞いて移住してくることもある。
ある夫婦は月額十四万ほどの生活保護費を二人分もらうために離婚して別々の表札を平屋の前につけているし、別の夫婦は障害者を養子にもらって障害者年金を手に入れていた。今回の事件報道で美代子たちの姓が頻繁に変わることに戸惑う読者もいるかもしれないが、生活保護を利用して生きる一部の人々にとってみればさして驚くことではないのだ。
※週刊ポスト2013年1月25日号