憲法改正を掲げた自民党の安倍晋三政権が発足し、今後憲法改正の議論が高まることが予想される。
自民党は1955年の結党以来、現憲法は「米国によって押しつけられたもの」として自主憲法制定を掲げてきた。石原慎太郎・日本維新の会代表の「憲法破棄論」は極端にしても、同じ問題意識を持つ保守政治家は多い。国民が自らの手で憲法を見直し、議論すべきだという考え方に異論は少ないだろう。
しかし、その場合、そもそも憲法は「国家権力から国民の権利を守るためのもの」か、逆に、「国家統治のために国民に守らせるためのものか」という憲法の立脚点を誤ってはならないはずだ。
中学校の教科書では、「平和主義」と並んで「国民主権」「基本的人権の尊重」が現憲法の3原則と教えられた。
その基本的人権の由来について第10章「最高法規」の97条ではこう書かれている。
〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである〉
ところが、自民党の改正案では、基本的人権の尊重や自由権の条項の多くは残されているものの、18条の奴隷的拘束からの自由は削除、さらに基本的人権の由来を定めた97条の条文が丸々削除された。かわりに、〈全て国民は、この憲法を尊重しなければならない〉(新102条)――という国民の憲法擁護義務が盛り込まれている。
改正案の起草者の1人、自民党の片山さつき代議士は、「基本的人権を守ろうとすれば、それを侵そうと思っている人に対抗して守らなければならない。それができるのは国家です。現行憲法は国家について否定的すぎる。もっと国家の役割を前向きに位置づけていいだろうという考えです。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、改める必要があると考えました」と語る。
※週刊ポスト2013年1月25日号