昨年10月、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、41才という若さで逝去したが、遺した著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』に金子さん自らが綴ったその“終活”のあり方に深く心を動かされた人々は多い。感動の輪は静かに広がり、同書は今、20万部を超えるベストセラーとなっている。
身近にいた人たちは、“その日”に向かう金子さんの姿を、どう見ていたのか。所属事務所のマネジャー、宮下浩行さん(41才)は、金子さんの亡くなる前日の昨年10月1日、夜9時半過ぎに電話で呼び出される。
「ベッドでずっと繰り返すんです。『迷惑をかけてすみません』って。そして『ぼくの人生は変わりました。ありがとう』って。だから、そのときまでこれを言うと終わってしまうと思って言えなかったことをなんとか口にできました。『金子さんと出会えて、お仕事ができて、ほんとに幸せでした』って」(宮下さん・以下同)
その4時間後、金子さんは帰らぬ人となった。宮下さんは通夜葬儀をきちんとこなした。
「実は、葬儀の最中、何の感情も湧いてこなかったんです。仕切るのに精一杯だったというのもありますが、火葬場に行っても涙ひとつ出ませんでした。その後も、まったく感情が湧かなくて、『あれ? 自分はおかしいんじゃないか』と思い始めていたんです」
次の日曜日。金子さんが亡くなってから1週間が経っていた。1人で家にいた宮下さんは、何気なくテレビをつけた。偶然、金子さんのことを取り上げていた。
「ぶわっと感情が高まりました。次から次へと涙が流れてきました。その時初めて、『ああ、いないんだ』ってわかったんです。それまではどこかで、このiPhoneに電話がかかってくるんじゃないか、ぐらいに思っていたんですね。違うんだ、もういないんだ。そう思ったら、高ぶった感情をもうどうすることもできませんでした」
宮下さんのiPhoneの番号は、金子さんにしか教えていない。金子さんがソフトバンクの携帯を持っていたので、それに対応するために購入したのだ。iPhoneを手に宮下さんは苦笑する。
「ぼくの履歴は全部金子哲雄なんです。金子さんが“ソフトバンク同士だから、タダだからタダだから”ってずうっと言ってて。だからって毎日十数回かかってきてたんですよ」
※女性セブン2013年1月31日号