「人生のいちばんの転機は、やっぱりダチョウ倶楽部の結成ですね。30年ぐらい前かなぁ」
とゆるーく語り出したダチョウ倶楽部のリーダー、肥後克広(49才)。その結成の仕方も実にゆるかった。
「お笑い芸人を目指して、渋谷道頓堀劇場で修業をしていたころですね。“芸人でやっていくか”って言っている割に努力も何もしない、そういう人間だったんです。そんなときにコント赤信号の渡辺正行さん(56才)が、新人コント大会を主催していて、“肥後、お前も出ろ!”って言われまして。“あ、いいですね”って答えたけれど、実は右から左に抜けていました(笑い)」
そんなとき新宿を歩いていると、渡辺とバッタリ会ってしまった。
「ネタ作りは進んでるか」
「えっ、何の話ですか?」
「お前なぁ。もうみんな作ってるぞ!」
「あ、あの話ですか…。メンバーが連絡つかなくて…」
「とにかく連絡のつくメンバーを集めろ!」
こんなやりとりがあって、肥後は焦ってコントをやるメンバーを集めることに。当時、ダチョウ倶楽部の前身となる、キムチ倶楽部というグループを結成していた肥後は、まずそのメンバーに連絡をすることに。
「メンバーは3人以上いたんですが、携帯のない時代なので、家に電話をしてたまたま連絡がついたのが上島(竜兵・51才)と寺門(ジモン・50才)でした」(肥後)
新人コント大会の結果はまずまずの成績。渡辺から「じゃ来月も出るか」そんなふうに言われることが続き、それが繰り返され今の3人組スタイルの基礎ができあがっていった。それから今までなんとなく続いてきたと肥後は笑う。
「グループがこんなに続いているということは、電話をとったふたりがベストなメンバーだったんでしょうね」
※女性セブン2013年1月31日号