〈ただ、陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています〉1994年、60歳の誕生日を迎えられた際の美智子皇后のお言葉だ。天皇陛下を支えられる皇后もまた、祈りの日々を続けている。天皇を支え傷ついた国民を慈しむ美智子皇后について、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が解説する
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美智子さまは、天皇陛下にとってかけがえのない支えのお役を果たしておられるだけでなく、皇室の良き伝統を静かに実践されていると思います。皇室の伝統とは、国民の幸福、国家の安泰・安寧を祈ってくださるということです。「月」がお題だった2007年の歌会始での美智子さまの御歌を紹介しましょう。
〈年ごとに月の在りどを確かむる 歳旦祭に君を送りて〉
宮中祭祀の中でも最も大切な祭祀のひとつが、元日早暁の四方拝と歳旦祭です。夜明け前、身を切るような寒さの中、天皇陛下が三殿に向かわれるのを美智子さまは必ずお見送りになり、ご自身も戸外に出て遙拝されます。その時、明けやらぬ空の彼方に在る月の年ごとに異なる満ち欠けの様子や光の陰り方をご覧になるのが習慣になっているというのです。
天皇陛下と1歳違い、78歳になられた美智子さまも、2007年の腸壁からの出血や御御足の痛みなどご体調が心配されますが、そうした中でも天皇陛下を献身的に支えられ、国民の安寧を祈ってくださっているのです。
美智子さまは立場の弱い人、恵まれない人、悲しんでいる人、苦しんでいる人などに想いを寄せられ、常にその方たちの側に立ってこられました。東日本大震災の折も、まず首都圏に避難している被災者を訪問され、その後に宮城、岩手、福島に入られました。
7週間連続で被災者をお見舞いされ、その間の移動距離は4000kmを超えたそうです。しかもお二人が宿泊すると現地に負担をかけてしまうと気遣われ、東北3県へのお見舞いはすべて日帰りの強行軍でした。
阪神・淡路大震災の時もそうでしたが、両陛下は床に膝をつき、被災者と同じ目線で話に耳を傾け、励ましのお言葉をかけられます。例えば美智子さまは、子供たちと一緒に難を逃れた母親に「子供たちを守ってくれてありがとう」と声をかけられ、家も店もすべて失い、命からがら逃げてきた人には「生きていてくれてありがとう」とおっしゃったそうです。
このお言葉に私は、美智子さまがまさに「国母」として存在されていることをあらためて感じ入ったものでした。
※SAPIO2013年2月号