昨年12月5日に急性呼吸窮迫症候群のため、この世を去った中村勘三郎さん(享年57)。
1月22日には、東京・文京区の自宅で四十九日法要が行われ、親族や親しい友人ら50人ほどが集まった。賑やかなことが好きだった勘三郎さんらしく、和やかで明るいものとなったという。
通常、納骨は四十九日に行うことが多いが、勘三郎さんのお骨はまだ自宅に置かれたままだ。ある歌舞伎関係者がこう語る。
「1週間ほど前に、妻の好江さん(53才)と話したんですが、そのときに“まだ納骨の日取りは決めていないんです。もう少し側に置いておきたいの”と言ってました。今でも好江さんは、毎日のように一日の出来事なんかを勘三郎さんの遺影やお骨に話しているそうです。やはり離れがたいんでしょうね…」
納骨しない理由には、こんな思いもあるのだという。
「4月に完成する新・歌舞伎座の舞台に立つことを、闘病中の勘三郎さんはずっと夢見てきました。ですから、できあがった歌舞伎座のこけら落とし公演を見せてあげたいという思いが、好江さんや勘九郎さんたちにはあるみたいですよ」(前出・歌舞伎関係者)
勘三郎さん一家の菩提寺は、東京・浅草にある西徳寺。ここには勘三郎さんの父である先代勘三郎も眠っている。浅草は、勘三郎さんにとって、2000年に『平成中村座』を立ち上げた思い出の地でもある。
その浅草では、ふたりの息子たちによる『平成中村座』公演を引き続き誘致できるようにという署名運動が計画されているという。それが実現すれば、埋葬された後も勘三郎さんが、近くで息子たちの歌舞伎を見守ってくれるはずだ。
※女性セブン2013年2月7日号