「ここまで築いてきたものがなくなるのは侘しい」
この初場所限りで、二所ノ関部屋が閉鎖されることが明らかになったとき、この部屋で1956年の初土俵から引退までを過ごした「昭和の大横綱」は、そう悲痛な呻きを漏らした。これを聞いた本誌は、大鵬氏が約25年前にも、同じような言葉を発していたことを思い出した。
「これまで積み重ねてきたことを、そんなことですべてぶち壊すつもりか!」
ある“疑惑の土俵”について、直撃取材を行なったときのことだ。大鵬氏は激怒しながらも、目には涙が浮かんでいた──。
本誌は1980年5月から「角界浄化スクープ」と題する連載を開始した。当時、NHKの辛口相撲解説で知られていた玉ノ海梅吉氏(元関脇・玉ノ海)の証言がきっかけとなり、勇気ある元力士らが次々に登場。彼らの話から、角界に信じられないほど八百長が蔓延している実態を突きとめた。
その取材の中で、玉ノ海氏から、「自分の生きている間は記事にしないでくれ」という“遺言”告白があった。
「1971年1月場所、大鵬が32度目の優勝を果たしたときの二番は八百長だ。周りは“世紀の大逆転”などと囃し立てるが、真相は負けてやった相手のシマ(横綱・玉の海。前の四股名、玉乃島が由来)から聞いている」
問題の相撲は、全勝で千秋楽を迎えた横綱・玉の海と、1敗の大鵬との取組だ。2場所連続優勝中の玉の海が、4場所優勝のない大鵬に本割、決定戦で続けて敗北。大鵬はこの優勝を花道に、2場所後に引退した。
取組を見て不自然さを感じた玉ノ海氏が、孫弟子に当たる横綱・玉の海を難詰した。すると涙ながらに、「どうしても断わり切れなかった。“君には未来があるが、大鵬はおそらくこれが最後だ。花道を作らせてやってほしい”といわれて……」と認めた。その後玉ノ海氏が大鵬本人に「この内容を公表する」と迫ったところ、当時の春日野理事長(元横綱・栃錦)らが飛んできて、「大鵬のことは黙っていてください」といってきたという。
ただ大鵬氏の名誉を守るため、これだけは断わっておきたい。それまでの31回の優勝は紛れもないガチンコである。彼が偉大な相撲人であったことは論を俟たない。しかしたった一度の八百長が、晩節を汚してしまう結果となった。
※週刊ポスト2013年2月8日号