一流大学を卒業した上に芸能人にも引けを取らない美しさ。女性にとって女子アナが、女性の憧れの職業といわれて久しい。しかしその女子アナが採用されるのは何千人もの応募の中から民放キー局で2~3人という超のつく狭き門だ。
日本に初めて女性のアナウンサーが登場したのは、ラジオ放送が誕生した1925年(大正14年)にまで遡る。
初代と呼ばれる翠川秋子さん(享年45)は料理番組などを担当し、リスナーに顔は見えなかったものの、その美貌と当時としては珍しかった洋装で注目された。しかし、局内での風当たりは強く、「男社会の犠牲になった」という思いを抱いて1年たらずで退社。その9年後の1935年、年下の男性と心中してしまった。
1953年にテレビ放送が始まり今年で60周年になるが、テレビ黎明期にあって女子アナは、「男性アナウンサーのサポート」の役割しか与えられなかった。それはテレビが大衆化する1960年代以降も変わらなかった。1968年にTBSに入社した見城美恵子さん(66才)が当時をこう振り返る。
「報道やスポーツは男性アナウンサーの聖域で、女性アナウンサーは近づくこともできませんでした。今のように総タレント時代ではなく、タレントさんには芸人としての矜持があって、プロデューサーには“アナウンサーは社員なんだから領域が違うんだ”と言われましたね。
とはいえ私たちは“局のアナウンサー”ということで大事にされ、局員でも食事に誘うのもいけないというのが暗黙の雰囲気。自由がない代わりに、大事に守ってもらえる時代でした」
1970年代に入ると、テレビの世界に華やかさが求められるようになり、ようやく女子アナも「ニュース」「朗読」「ナレーション」などへの参加が許された。
「衣装やアクセサリーも派手になり、フリーの人たちが活躍する時代になっていきました。バブルに向かって、テレビ局もタレントなどをどんどん起用する。アナウンサーを採用する際にも、テレビ向きの華やかさのある人を選ぶようになっていきました」(見城さん)
その象徴的存在が、民放でいえば1975年にフジテレビに入社した田丸美寿々(60才)、NHKでは1979年に入局した頼近美津子さん(享年53)だった。
当初、天気予報などを読んでいた田丸だったが、1979年に逸見政孝さん(享年48)とともに『FNNニュースレポート6:30』のメインキャスターに抜擢される。これが「女性キャスター」第1号となった。
頼近さんは、ゴールデンタイムの『ばらえてぃ テレビファソラシド』で「朗読の名人」と呼ばれたベテランの加賀美幸子さん(72才)とともにメイン司会を担当。タモリに「キャサリン」のミドルネームで呼ばれ、一躍人気者に。1980年には『NHKニュースワイド』のキャスターに抜擢された。1981年、フジテレビに電撃的に移籍した時には、1200万円とも噂された高額年俸が話題を呼んだ。
※女性セブン2013年2月7日号