昨年、年間視聴率1位(プライム帯=19~23時)を獲得したテレビ朝日(以下・テレ朝)だが、2000年代までの半世紀にわたって、視聴率で苦杯をなめ続けていた。実際、歴代高視聴率ベスト10はおろか、ベスト20にまで広げても、テレ朝の番組はひとつも入らない。
1964年にテレ朝に入社し、『ミュージックステーション』や『TVタックル』など現在も続く名番組を手がけた元プロデューサーの皇達也さんは、「当時のウチには覇気がなかった」と振り返る。
「ひとことでいうと、みんな他局に勝つ気がなかったんです。テレビ朝日の前身は『日本教育テレビ(NET)』という教育専門局。だからなのか、“数字は取れなくても、いい番組を作ろう”という風土がずっと残っていた。フジが『楽しくなければテレビじゃない』と突っ走っていたころ、うちのスローガンは『報道と情報のテレビ朝日』でしたから(苦笑)。戦う前から負けているようなものです」
皇さんは入社当初から「視聴率で勝ちたい」という気持ちが強かった。しかし、穏やかな雰囲気の局の中では浮きがちな存在だった。今でも忘れられない象徴的なエピソードがある。
「1986年に、ポップミュージックに狙いを絞った『ミュージックステーション』を立ち上げようとしたときでした。新番組をつくる前には、自社の諮問委員会にかけられるんですが、“(クラシック中心の)『題名のない音楽会』という良質の番組があるのに、そんな(低俗な)新番組はいらないのでは?”と言われてびっくりしました。ぼくは忠告を無視して番組を制作しましたけどね(苦笑)」(皇さん)
こうした“ヌルい”空気に活を入れたのが、1999年に社長に就任した広瀬道貞氏だったという。2002年ごろ、「プライムタイムの視聴率トップをめざす!」と宣言。
「社員のやる気に火をつけ、徐々に意識が変わり始めました。そこから今日に続く道が始まったんです」(皇さん)
※女性セブン2013年2月14日号