2月3日、十二代目市川團十郎さん(享年66)が肺炎のために亡くなった。昨年末に肺炎と診断され闘病中だった團十郎さんが、生きる糧として楽しみにしていたのが、3月に控える海老蔵・麻央夫妻の第2子誕生だった。
「“市川團十郎”というのは400年以上続く江戸歌舞伎の根幹となる大きな名跡です。成田屋にとって、男の子が誕生することは“團十郎の後継者の誕生”を意味するわけですから、男子が待望されるのは当然なのです」(演劇評論家・藤田洋氏)
もちろん團十郎さんも男子誕生を待ち望んでいた。
「團十郎さんの自宅には小さな稽古場があるんですけど、“あそこで孫に稽古つけてやりたい”って嬉しそうに話していたことがありましたよ。それに“親子3代で舞台に立てるかな”なんてことも言ってて」(後援会関係者)
父である十一代目は海老蔵が誕生する前に亡くなっていたために、親子3代で舞台に上がることは叶わなかった。だからこそ團十郎さんの中で、“自分は”という思いは強かったという。そんな團十郎さんの願いを知っているからこそ、麻央は大きなプレッシャーを感じていた。
「麻央ちゃんは男女の産み分け術などの本を読みあさったり、お医者さんに相談したりと、かなり勉強していましたね。初代團十郎が成田山を参拝したことで男子を授かったと聞けば参拝に行ったりとか、とにかく“男子を産まなきゃ”という思いに駆られていました」(歌舞伎関係者)
“お世継ぎ誕生”の重圧に押し潰されそうな麻央に対して、海老蔵は第2子の妊娠がわかったときに、麻央にこんな言葉をかけたという。
「海老蔵さんは“おれは男の子でも、女の子でもどちらでも構わない。だから生まれてくるまで、性別を調べるのやめよう”って約束したみたいです。そして“跡取りは、いざとなったら養子を取ればいいんだから”と言ってくれたそうです。麻央ちゃんは、その言葉で一気に心が軽くなったんです」(麻央の知人)
こうして3月の出産に向け、順調な日々を送っていた麻央。しかし、團十郎さんの容体が深刻さを増していくなか、ふたりはこんな決意をしたという。
「海老蔵さんと麻央ちゃんは、一度は“性別を調べない”と決めたんですが、“病床の團十郎さんに生きる希望を持ってほしい”“男の子なら安心してくれて元気になる”と考えて、性別を調べることにしたそうです」(前出・麻央の知人)
そして出た結果は“男の子”──その吉報を海老蔵から知らされた病床の團十郎さんは、目を細め、穏やかにほほえんだという。まさに命をつなぐ“希望の言葉”だった。
「團十郎さんは“どんなことがあっても頑張って、孫の初舞台までは見たい。一緒の舞台に立ちたい”と言って、指を折って年齢を数え始め、“最低でも70才までは元気でいなきゃだめだな”なんて言っていたそうです」(別の歌舞伎関係者)
その後、團十郎さんの病状は一時、快方に向かったが、願いははかなく消えた。
※女性セブン2013年2月21日号