2月3日午後9時59分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった十二代目・市川團十郎さん(享年66)。2004年に急性前骨髄球性白血病を発症し、二度に渡る闘病生活を経て2006年に復帰したが、團十郎さんの体調に影響があったのではといわれているのが、昨年10月に東京・新橋演舞場で行われた『芸術祭十月大歌舞伎』で歌舞伎十八番のひとつである『勧進帳』に出演したことだ。
『勧進帳』とは、源頼朝から逃げる源義経一行の物語。安宅の関(石川県)で弁慶を先頭に山伏に扮して通り抜けようとしたとき、関守の富樫という侍に怪しまれるのだが、弁慶の機転で、その危機を乗り切るという人気の演目だ。著書に『歌舞伎英雄伝説』(講談社刊)を持つ作家・利根川裕さんは、こう説明する。
「『勧進帳』は体力が必要な演目です。他の演目なら、どこかで舞台袖に入って水分を取ったり休憩ができるんですが、『勧進帳』は一度出たら、1時間以上舞台に出ずっぱりなんです」
体力だけではなく、もちろん気力も必要な『勧進帳』は1回演じるだけでも大変なのだが、10月公演では昼夜2回公演だったという。
「そのうえ、主人公である弁慶と富樫を昼夜で松本幸四郎さん(70才)と交代して演じるという、團十郎さんにとっては、あまりに過酷なものだったのです。この時の体の酷使が、こんなに早い死を招いたのではと言う人もいます」(歌舞伎関係者)
白血病である團十郎さんが、そこまで無理して出演していたことについては、「以前抱えた多額の借金がまだ残っていたため」とか「興行主である松竹が、ファンの歌舞伎離れを食い止めるために考えた企画に協力した」など、いろいろな理由が囁かれている。
しかし、前出・歌舞伎関係者が言う。
「いずれにしても、『勧進帳』を上演するから出演してほしいと言われたら、まず断らなかったと思います。それぐらい『勧進帳』にはプライドを持っていましたからね」 疲れた体を休める間もなく、12月には勘九郎の襲名興行に突入。その直後、勘三郎さんの訃報が届く。 「團十郎さんはご自分も父親を若くして亡くしていますから、勘九郎さんや七之助さんの気持ちが痛いほどわかったのでしょう。“何としてでも彼らを守る”という思いがまた無理をさせることになったんだと思いますよ」(別の歌舞伎関係者)
そして、團十郎さんは体調不良で休演することとなってしまったのだ。
※女性セブン2013年2月21日号