プロ野球もキャンプ入りし、盛り上がりを見せているが、「国民的スポーツ」と称されるプロ野球で起こった「大事件」の裏側を、当時を知る人々の証言を元に明らかにしよう。
1991年、オリックス監督に就任した土井正三監督。選手としては巨人のV9戦士として評価が高いが、監督としては「イチローの素質を見抜けなかった」「振り子打法を否定した愚将」という見方をされる。
しかしこの点について、生前の土井氏は強く否定していた。本誌は氏がすい臓がんに倒れ、療養中だった時に話を聞いている。
「監督就任2年目に入団してきたイチローは、チームの将来を背負う逸材に違いなかった。当初は二軍で鍛えるつもりだったが、ファームで3割8分をマークしていることもあり、オールスター前に昇格させた」
9月頃、このままでは新人王の資格がなくなるというので本人にも打診したが、「一軍にいたい」と訴えられ、そのままにしたという。
だが2年目には、予想通り成績が2割以下に低迷。一軍に置き続けても平凡な選手になってしまうことを苦慮した結果、走塁ミスを理由に二軍落ちを宣告した。
「もうミスはしないから置いてください! と泣き叫んだが、降格を決めた。鬼みたいですが、鍛え直すのが目的でした」
二軍へ戻ったイチローが河村健一郎コーチと取り組んだのが、“振り子打法”だった。土井氏が振り子を否定したとする説は時期を間違えている。
「彼のお父さんとは今もゴルフもする仲で、あの時、二軍に落としてくれたから今がある、といってくれます。ボク自身は志半ばで終わってしまいましたがね」
そういって瞑目した土井氏は、その2年後に亡くなった。
※週刊ポスト2013年2月15・22日号