「鉄人」金本知憲氏が、昨年9月に阪神タイガースのユニフォームを脱ぐ決意を明かした記者会見で、意外な言葉を次々と口にした。
「ホッとしたという気持ちが、かなりを占める」
「この3年間は惨めというか、こんな苦しい人生があるのかなという思いだった」
「野球は人生そのもの。7~8割はしんどくて、2~3割の喜び、充実感を追い続けた」
苦悩を押し隠し、独り苦しみに耐えたからこそ、数々の栄光の記録が残ったということなのか。改めて金本氏に「もがき続けた野球人生」を聞いた。
──引退会見や、引退後に出された自伝『人生賭けて』(小学館刊)を見ると、自分の野球人生を過小評価しているようにも感じます。
金本:本当に苦しいことばかりでした。カープでの最初の3年間は人生で一番練習していたのに全く認めてもらえなかった。主力になってからも、オーナーや監督のお気に入り選手との評価の違いはいつも感じていました。順風満帆だと思ったことはほとんどありませんでしたね。
2003年に阪神に移籍して、優勝を経験するなど喜びも多くありましたが、2010年3月に右肩の棘上筋断裂という重いケガをしてからの3年間は辛かった。バットは思うように振れないし、全力疾走しただけでも肩の関節が外れそうになる有り様で、ボールを投げると激痛が走った。
僕の21年間のプロ野球人生は、大袈裟でなく70%が辛い苦しいものだったというのが実感ですね。
──特に辛かった最後の3シーズン、満足できない状態でもプレーを続けた理由は?
金本:肩を持ち上げる筋肉が99%切れているというとんでもない状態のまま復帰を目指してやってこられたのは、必ずもっと良いプレーができると信じていたからです。またチームのためになれるという信念もあった。
実際、他の筋肉で補うことで少しずつ遠投もできるようになり、年々肩の調子は上がっていった。オフにトレーニングすれば、翌年はさらに良くなるのではないか。ケガする前と同じにはなれなくても、もっとホームランを打てるのではないか。そういう期待がプレーを続けさせてくれました。
※SAPIO2013年3月号