エロくてためになる「性の文化史」本の数々は、まさに知性と欲情をくすぐる「オトナの教科書」。バイブルともいうべき名著のなかから『自慰 抑圧と恐怖の精神史』(原書房/2001年/2940円/ジャン・スタンジェ、アンヌ・ファン・ネック著、稲松三千野訳)をもとに、自慰の歴史を振り返る。
フランスのピエール・ラルースが編纂した『十九世紀大百科事典』には、こう書かれている。
「マスターベーションが非常に多くの病気の素地になることは、全ての医師が認めている」
頭痛、めまい、脳うっ血、ヒステリー、くる病、発育停止、虚弱、慢性カタル、肺炎、胃腸病、インポ、精神病……マスターベーションは万病の根源だとされ、最後には死が待つとされた。そこには、生殖に関わるセックス以外は認めない、まして自ら性的快楽をむさぼり、射精にいたる行為は許されざるもの──という強固なキリスト教の性倫理観が横たわっている。
旧約聖書の創世記にある「オナンの罪」は、オナニーの語源になった。ユダの3人の息子、次男のオナンは、長男エルの死によって兄の子孫が絶えることを憂慮した父から、義姉とセックスするように命じられる。だが、オナンは精液を地に流すことで父に背く。オナンの行為は生殖活動ではない射精、つまりマスターベーションと解釈され大罪と断じられた。
新約聖書でも「手淫をする者」は男色や姦淫、偸盗と並んで「神の国を継ぐことはできない」と厳しく指弾されている──これらは、14世紀終わりのフランシスコ派修道士ベネディクトによる『罪全書』で明記され、ヨーロッパからアメリカを覆ったマスターベーション罪悪論の根拠となったのだ。
※週刊ポスト2013年3月1日号