アルジェリア人質事件では、プラント建設大手「日揮」の日本人社員10人を含む多数の尊い命が失われた。だが、もし人質が日本人のみだったら、事件には違う展開の可能性もあったと大前研一氏は指摘する。以下は、大前氏の解説だ。
* * *
日揮は非常に優秀な総合エンジニアリング会社で、私が経営コンサルタントを始めた40年前から、すでにアルジェリアでプロジェクトを手がけていた。同社のHPによると、アルジェリア進出は1969年に受注(1973年に完成)したアルズー製油所建設が最初で、それ以降、資源開発、石油精製、LNGなど同国で50以上のプロジェクトに参画している。
資源小国・日本のエネルギー確保のために、他の企業が二の足を踏むような地域にも進出してきた“最も勇気ある日本企業”という印象が強い。私自身、マッキンゼー時代に2名をコンサルタントとして採用した人材輩出会社でもある。
その海外事業ノウハウはリスク管理も含め、他の日本企業を圧倒している。とくにアルジェリアについては専門の遂行部隊を維持し、現地に深く溶け込んでいた。
今回は人質となった人々がアメリカ、イギリス、フィリピンなど多国籍にわたったため、アルジェリア政府が個々の国の事情にかまっていられなくなって、結局、大きな惨事となったようだが、ひょっとしたら日本人だけが人質になって日揮がアルジェリア政府と相談しながら直接テロリスト側と交渉できていれば、犠牲者は抑えられた可能性もあったと思う。
それほどまでにアルジェリアと太いパイプを持っていた稀有な企業で犠牲者が出たのは、残念でならない。
※週刊ポスト2013年3月1日号