mixi、Twitter、Facebook、LINE…。次々とあらゆるSNSが登場しているが、乗り換えたり、複数を使い分けたりしている人も多いのではないだろうか。そんななか、ここ最近よく聞くのが、SNSを頻繁に閲覧することや、情報の氾濫、自分の情報が可視化されることなどによる“ソーシャル疲れ”だ。日本のネット事情に詳しい社会学者で批評家の濱野智史さんに、こうした“ソーシャル疲れ”や、炎上、いじめ問題、恋愛事情の変化など最新ネット事情について解説してもらった。
――今“ソーシャル疲れ”している人が多いようですが?
濱野:2003年くらいにmixiが流行り始めたころは“mixi疲れ”と言われてましたし、このトピック自体、2000年代前半にSNS的なものが出てきたころから言われていることなんですよね。最近よく聞くのは、みんなTwitterやFacebookといったSNSに疲れてきて、少数の気心の知れた人だけで気軽に話せるクローズドなLINEに逃げている、という話。ただこれは、Twitterが出てきたときも「mixiより気楽でいい」と乗り換える人がちらほらいたのと同じ。要は「SNS疲れ」というのはどこでも起こる普遍的現象なんです。
――社会的にいじめが問題になっていますが、SNS上のいじめってあるんでしょうか?
濱野:重要なのは“いじめ”というよりは、“いじり”ですよね。SNS上で、ていのいいキャラの人をいじって、コミュニティの一部で笑いが起きる。それがある種暴走して過激化するのがいじめだと思うんですよね。でもキャラいじりというのは、毎日テレビ番組などで面白おかしくやっていて、完全に文化になっている。今やお笑い芸人だけではなく、一般の職場でも教室でも誰だってやっている。
キャラいじりでもしないとコミュニケーションが成立しないわけです。これは根深い問題だと思います。キャラいじりというのはいい方向に行くと人気が出るし、目立てるわけです。キャラいじりを引き受けられる人は「強キャラ」になれるけれど、耐えられないといじめになるわけですよ。これは根が同じで表裏一体なので、片方だけだめで片方だけOKと言って片付けられないと思います。
――ネットの発達によって恋愛事情も変わったのでは?
濱野:SNSの特徴は、人間関係の距離感がむちゃくちゃ測れるようになったことにあります。普通はリアルな空間で話すときに、目配せとかスキンシップとか、そういう「言葉には現れない部分」で好奇心や好きの度合いを測ることが恋愛の入口になるわけじゃないですか。
それが、まず携帯メールが出てきて変わりました。ケータイが出てきて若い人たちが言っていたのは、30分以内に返信がこないとダメとか、即レスじゃないと嫌われた気がするとか。そこへmixiが出てきて、足跡がやたらくるとか、ログインして5分で自分のところに来てくれたというところまでわかるようになった。要するにSNSを使うと、無限にストーキングもできるわけですよね。
――単なる好奇心で見るのとストーキング、その境目の判断は難しいですね。
濱野:結局恋愛で大事なのって“文脈情報”なんですよね。言葉にしなくても関心を持っている、持っていないということがわかってしまう。例えば“教室で好きな人をずーっと見ちゃう”というのに近いことがネット上でもできるようになったわけですね。初めはせいぜいメールの返信速度だったり、文章がやたらと長いと「あ、本気だな」とか、ハートの絵文字がいつもよりあると「好きなのかな」という程度の情報しかなかった。
でもそれがSNSが進化してくると、mixiだとログイン時間や足跡、Twitterもすぐフォローやリプ返ししてくれるかといったぐあいに、文脈情報が溢れるようになった。ネット空間で四六時中見られるようになって、文脈の読み合いが生じるようになったわけです。誰に話しかけているとか、フォロー申請しているとか、どの人間関係も可視化されるようになった。まさに「総ウォッチ社会」とでもいうべき状態です。いつでもどこでもコミュニケーションできてすごく便利になったんだけど、それゆえにおちおちとコミュニケーションできない人も出てきてしまう。例えばちょっと女の子にリプライ飛ばしたら「浮気だ!」とか言われかねない世の中になったわけで(笑い)。これもソーシャル疲れの原因のひとつですよね。
――SNS上で行動がバレバレですし、カレログみたいな追跡アプリも問題になりました…。
濱野:カレログ、ありましたね。そういう「監視される恋愛」から降りたくなる若者も増えているように思います。ある特定の恋愛相手やコミュニティに依存してしまうとガッツリ監視されて窮屈なので、複数のコミュニティや人間関係を分散管理しておいてリスクヘッジする「多元化戦略」をとるようになる。実際、ぼくの知り合いの若者で、リアルの恋人とアイドルへの擬似恋愛を使い分けているというやつがいます。
“恋-愛”の“恋”の部分はアイドルにぶつけることで満たして、リアルの彼女とは“愛”の部分を満たすというか、気楽に休日をまったり過ごせる相手として家族のようにつきあっているんだと言うんですね。彼女の側からしても、別にリアルの相手と浮気されるよりマシということで容認してもらえているらしい(笑い)。こういうのはオールドな恋愛観の持ち主からしたら「ありえない!」と思われるかもしれないけど、こういう多元化戦略はこれからの世の中の基本になっていくと思うんです。
今は恋愛事情の例で説明しましたが、「ひとつの職場だけに依存していると、人間関係も窮屈なのでSNS疲れしてしまう」「教室の友人関係だけに依存していると、キャラいじりが過酷すぎて辛い」ということになってしまう。でもSNS疲れやいじめの問題というのは、いろいろなコミュニティに足を突っ込んでおけば回避できる問題なんですよ。だって居心地が悪くなったら別のコミュニティに移住すればいいだけですから。
――なるほど。「総ウォッチ社会」には「多元化戦略」で対処せよ、と。
だから「総ウォッチ社会」というのは悪いところばかりじゃないんですよ。むしろあらゆる情報や人間関係が可視化される世の中になったからこそ、ツイッターが名刺代わりになって、見知らぬ人同士でもすぐに「ああ、ツイッターの○○さんですか、いつも読んでます」と素性がわかるから、初めての場所やコミュニティにもあっさり加入できる。つまり、あちこちのコミュニティに首を突っ込む「多元化戦略」をやりやすいんですね。
「総ウォッチ社会」は窮屈だと思うかもしれませんが、むしろそれを逆手に取って、複数のSNS・複数のコミュニティを使い分けていろんなところに首を突っ込むほうがハッピーになれると思います。特に趣味関係はSNSを通じてめちゃくちゃ話が早くなっている。すり合わせる面倒くささがないんですよね。アイドルオタクの世界では「女ヲタヲタ」といって、アイドル現場に来ている女の子のアイドルファンに積極的に話しかけて、恋愛関係になるというケースが多いんです。男も女もアイドル好き同士で趣味が同じだから、非モテ同士でもスムーズに恋愛に発展するんですよ(笑い)。
それこそ今後はシニアの人たちがSNSの世界に参入してくると面白いでしょうね。定年退職されたシニア層の人は、お金も時間もたくさんあるし、SNSで趣味の仲間を探して、がんがん交流して第二の人生を謳歌していくというイメージですね。実際にそういう人も増えていますし、世代にとらわれずにSNSを通じた「多元化戦略」が広がっていくと、日本社会の風通しももっとよくなるんじゃないかなと思います。
【濱野智史(はまの・さとし)】
1980年8月8日生まれ。千葉県出身。株式会社日本技芸のリサーチャー。社会学者、日本のネット事情に詳しい批評家。著書『アーキテクチャの生態系 情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版)で、テレコム社会科学賞を受賞。昨年12月に『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)を発売。