【著者に訊け】新野剛志氏/『美しい家』/講談社/1680円
夜更けの住宅街で〈夜を打ち消そうとするように〉、煌々と灯るコンビニの明り。その前で一人、缶ビールをあおる若い女を“拾った”ことが、全ての発端だった。その女は言った。
〈あたしスパイ学校に入れられてたんです。子供たちを集めて、スパイを養成する学校。そんなものが日本にあるなんて信じられないでしょうけど、本当なんです〉――。
「実はこれ、僕の実体験で、今も彼女の名前はわからずじまいですが、見ず知らずの女性にスパイ学校の話をいきなり打ち明けられた。まさかとは思いましたけど、通りすがりの人間にそんなウソをつく意味はないわけで、その時の理性が揺らぐ感じを書いてみたかった」
新野剛志著『美しい家』は、そうこうして女の正体を調べることになった作家〈中谷洋〉が、思いもよらない事件に巻き込まれていくミステリーだ。やがて明らかになる女の過去は家族というものが孕む悲しさ、おぞましさを思わせ、幸福を求めるがあまり転落してゆく人間たちの業を、まざまざと見せつける。新野氏はこう語る。
「普通はスパイ学校の出身者がコンビニの前なんかにいるわけがないと思うんでしょうけど、僕ら作家はどうもその手の話に親和性があるというか、世の中にはスパイに見えないスパイがいるかもしれないと思うとドキドキしちゃって(笑い)。ただ例えば宇宙人は本当にいると言われた時の昂揚感とは違って、何となくほの暗い気分にはなりました」
中谷は、彼が高校生の時に三つ上の姉が何者かに連れ去られて以来、〈姉が夜に溶けて消えてしまったイメージ〉を持ち、特に下心もなく女性を泊めたのはこれで4人目。それが原因で妻と離婚し、ここ4年は小説も書けていない。久々に想像力を刺激された彼は名前も告げずに姿を消した女の行方を、担当編集者の〈小島〉と探し始める。
恋人と親友を立て続けに自殺で失ったという女は〈あたしが、関わるひと、みんな死んでいく〉とこぼしていた。コンビニの店員から、近所の精神病院の女性患者が最近飛び降り自殺したと聞きつけた中谷は、患者たちの溜まり場になっているという喫茶店で自身も鬱病を患っているらしい〈原亜樹〉の連絡先を聞きだし、早速会いに行く。
もっとも亜樹の記憶はそもそもが曖昧で、スパイ学校の窓から建造中の〈ロケット〉が見えたこと、そこから見知らぬ女性が自分を助け出し、以来八王子の伯父夫婦に育てられたことくらいしかハッキリしない。伯父は亜樹の母の兄にあたるが、両親のことも以前はどこに住んでいたかも語ろうとせず、何か触れられたくない事情があるらしい。
一方、小島はネット上に中学時代の同級生から自分はスパイ養成学校の出身者だと打ち明けられたという匿名の書き込みを見つける。しかもその同級生は最近になって誘拐事件を起こし、逮捕されたのだという。
実はその誘拐犯こそ、本作の今一人の語り手〈工藤友幸〉だった。家出少年とたまたま一緒にいただけで実刑を食らうほど運がない彼は、自身の運命を変えるため、ある計画を立てる。かつて〈教授〉やみんなと追い求めた〈黄金の里〉を再び探しに行くのだ。もちろん旅に出るには“家族”も一緒でなければならない。散り散りになった彼の家族捜しが始まった――。
※週刊ポスト2013年3月8日号