3月3日の桃の節句。女の子がいる家庭ではひな人形を飾るのが日本の風習だが、ひな人形はいつごろからあったのだろか。All About「暮らしの歳時記」でガイドを務める和文化研究の三浦康子さんはこう解説する。
「ルーツは平安時代の上流階級のおままごと“ひいな遊び”。そこに、人の形をした紙の“人形”に厄を移して川に流す行事が合わさり、ひな人形を川に流す“流しびな”となったり、立派なものは流さず飾るようになりました」
ひな人形飾り方は、関東と関西で位置が逆になっているという。
「関西では、自分の左側に上位の人がくる“左上位”の日本古来の考え方を継承しています。一方、関東では、西洋化が進む中で “右上位”の国際儀礼に従うようになりました」(三浦さん)
さらに、ひなあられも地域によって異なる。関西ではあられで、関東ではポン菓子なのだ。
「菱餅を砕いたのが関西のひなあられ。平安時代にひな人形を外へ持っていき景色を見せる“ひなの国見せ”の際に、携帯食として持っていきました。一方、関東では江戸時代に質素倹約の精神を子供たちに教えようとお釜に残ったご飯粒を煎ったものがもとになっています」
また、ひな人形を早く片付けないと婚期が遅れると言われているのは、どうしてなのだろうか。
「ひな人形にはその子の厄を引き受ける役目があるため、早く遠ざけたほうが良いとされたからです。『女性の幸せ=結婚』と考えられていた江戸時代から、良縁の象徴とされるお内裏さまとおひなさまの出し入れに、婚期を重ねるようになりました」
※女性セブン2013年3月14日号