【書評】『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(池上正樹、加藤順子/青志社/1575円)
【評者】福田ますみ(フリーライター)
子供たちは死にたくなかった。先生たちだって子供を必死に守ろうとしていた。それなのになぜこんなことになったのか?
東日本大震災からまもなく2年。あの日、被災地にある小学校のほとんどが、在校児童の命を守り切ったのに、宮城県石巻市立大川小学校だけが、おびただしい犠牲者を出してしまった。
地震後、大川小学校に残っていた児童は78人。多くが校庭に集められていた。対応に当たったのは教頭以下11人の教師。校長は年休をとり不在だった。教頭はラジオで10mの大津波警報が出ていることを知っていた。
市の広報車も「大津波警報」「高台への避難」を呼びかけながら一帯を走り回っていた。学校の正面には、スクールバスが待機し、校庭の近くには、すぐにも登ることができる裏山があった。
ところが、子供たちは50分もの間校庭に待機させられ、近くの新北上大橋のたもとの堤防上にある三角地帯に避難しようと移動を始めたのは津波襲来のわずか1分前。高さ9mもの津波が子供たちと教師をのみ込み、74人の子供と10人の教師が犠牲になった。そのうちの4人の子供は今も行方不明である。津波に巻き込まれて生還できたのは4人の子供と1人の教師だけ。
津波襲来まで、いったいなぜ51分もの空白が生まれたのか。なぜすぐに避難しなかったのか? 遺族たちはみな、「先生を責めるつもりはない。ただ真実が知りたい」と言う。
ところが、その声に対し石巻市教育委員会は、児童の聞き取り調査メモを廃棄し、「山さ逃げよう!」と教師に叫んでいた児童の存在を隠蔽し、津波1分前でなく、もっと早くから避難を開始していた事実があったかのごとく説明した。
不可解なのは、唯一助かったA教諭の証言である。A教諭は市教委による聞き取り調査、保護者説明会、保護者向けFAXと3回証言しているのだが、被災から最も早い市教委による聞き取りでは、山に避難しなかった理由を何も話していないのに、保護者説明会やFAXでは、山に倒木があったためと説明している。
本書は、資料開示請求によって入手した膨大な文書と、行政、遺族、目撃者らへの徹底した取材とを突き合わせて行政側の説明の矛盾、嘘をひとつひとつ暴いてゆく。そしてたどりついた、51分間の真実とは?
※女性セブン2013年3月21日号