視聴率低下が叫ばれ、テレビ離れが危惧される昨今だが、作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏は必ずしもそうは感じていない。テレビの愉しみ方が変わってきているのではないか、と指摘する。
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3月に入り、冬ドラもいよいよ佳境にさしかかる時期です。熱心に見ている人が多いな、と感じるわりには視聴率が伴わない。10%台前半のドラマが多くて、地味な数字が何だか不思議。
ところが、「『最高の離婚』と『夜行観覧車』は録画再生率も含めると実質視聴率は30%に達するのでは?」と朝日新聞が報じたとか。やっぱりね。同感と、うなずいた人も多いのではないでしょうか?
これまで視聴率というものは、放映時のリアルタイム視聴をカウントしてきました。それが、お茶の間の視聴実態とズレているのではないか? 実態を正確に把握できていないのではないか?
と指摘され、議論を呼んでいます。
「夜10時からの番組は録画して見ている若年層も多いため、その数字を加えないまま“つまらないドラマ”との烙印を押されるのは納得いきません」(NEWSポストセブン 2013.3.5)という制作関係者の声も。ビデオリサーチ社調べの視聴率の“妥当性”については、今後ますます議論になっていくでしょう。
たしかに。周囲を見回してみれば、うなずける。ハードディスクへの録画はボタン一つで完了。前にくらべてものすごく簡単。そのため、「本気で見たいものは録画」という流れが定着しつつあるのではないでしょうか。
ドラマを録画して後で見る、という「隠れ視聴者」が私のまわりにもたくさんいます。
「『夜行観覧車』は必ず録画して見ているわよ。仕事も食事もお風呂もすべて終わって、ゆっくりできる夜の時間帯に、録画しておいたドラマをじっくりと一人で楽しむの」というのは、知人の弁。
部屋の照明は落とし気味にし、携帯電話はオフ、トイレを済ませる。すべては画面に集中するための環境整備だそうです。そして、好きなお酒を用意して、いざ再生スタート。
「誰にも邪魔されないこの時間がとても好き。最高の娯楽タイム」と彼女は言います。
バラエティやワイドショーは「ながら見」でいい。けれどドラマは別。しっかりと集中して見たい。誰にも邪魔されずに没入したい。それだけ真剣に対峙している、とも言える。もしかしたら、テレビドラマに対する向き合い方の密度は、以前よりも上がってきている、と言えるのかもしれません。
今の時代、ネットや携帯に流れこむ情報はみんな細切れで断片化している。お笑い番組はマンネリ化し見飽きた。だからこそ、連続ドラマが人々の共感を創り出し、感情を重ね合わせる娯楽の役割を担う。私はこれまでにもそんな指摘をしてきました。
知り合いの話を聞きながら、ドラマを見ているシーンが「何かに似ているな」と感じたのです。
あっ、そうだ。昔の映画館だ。暗い館内で、脇目もふらずに銀幕をみつめる。登場人物に自分自身を重ねあわせ、感情移入し涙を流したり笑ったり。映画のスクリーンの上には、激しい生き様や人生、純粋な愛が浮かび上がっていました。
映画館で上映されてきたそうした映画の役割を、今新たに、テレビドラマが担い始めているとは言えないでしょうか?
デジタル放送+ハードディスクという技術革新が、お茶の間に「変化」をもたらした。
同時に、何度でも向き合うことができる秀逸な作品がドラマの中に育ってきている。テレビドラマが、かつての映画に比する「娯楽コンテンツ」の地位を占めつつある。一過性の消費財として消えていくのではない。繰り返しの鑑賞に堪え「作品」として命を永らえていく。ドラマをめぐって、そんな条件が整ってきた時代なのでしょう。