東日本大震災から2年が経過しようとしているが、この2年間、変わらず復興支援を続けてきた人がいる。フリーアナウンサーの生島ヒロシ(62才)は、昨年10月に開設された、宮城県・気仙沼コールセンターの顧問となっている。気仙沼出身で、妹夫婦をこの津波で亡くした生島は、故郷に雇用の場を作ろうと立ち上がったのだ。
コールセンターを選んだのは、メインパーソナリティーを務めるラジオ番組『生島ヒロシのおはよう一直線』(TBS系列)などで通信販売の案内をすることが多く、電話で注文や相談を受ける仕事の需要が多いことをよく知っていたからだ。
「だったら、気仙沼でやったらいいんじゃないかと。そこで、スタートするにあたって企業を探し始めました」
運良く、テレビ出演をきっかけに協力者を得た。コールセンターを経営するDIOジャパンの小島のり子社長だ。プロと出会ったことで話は順調に進み、来年廃校となる女子高の空き教室で、業務がスタートした。
今日も40代の女性を中心に50人近くが電話応対の研修を受けている。「はい、~でございます」。黒板には「勤務中は標準語」「アクセント注意」などの標語が記されていた。
昨年11月からここへ通っているという53才の女性は、津波で全財産を失った。
「それでも震災直後は、気が張っていたんです」
1年が過ぎる頃、気持ちがぷつんと切れた。それまでの仕事を辞めて、仮設住宅に閉じこもるように。これではいけない。そう思ったときに、この求人を見つけた。
「生島さんや会社には、生きる糧を与えてもらいました。ここに来れば同じ境遇のたくさんの人がいて、声を聞くことができます」(前出の女性)
そう言って表情を緩ませる。
設備の準備が遅れているため、コールセンターの本格稼働はまだ少し先。生島は今も、スポンサー集めを続けている。
「規模を拡大し、人員を増やしたいですね。ここで一生懸命、やれるだけのことはやっていきたいと思っています」(生島)
※女性セブン2013年3月21日号