人はなぜ差別するのか。そもそも差別とは何か。小林よしのり氏が『差別論スペシャル』で問題を抉ったのは1995年のこと。ネットには差別表現が氾濫し、社会の底辺から抜け出せない「絶対弱者」が社会的弱者を虐げる状況を、小林よしのり氏はこう解説する。
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小泉政権以降、新自由主義が推し進められて非正規雇用が増えた。賃金は低下し、共同体も崩壊した。誰にも守ってもらえない絶対弱者が大量に生まれた。
昔は虐げられている労働者の多くは、左翼の運動家になった。資本家やそれと結びつく政治家など、体制側と戦った。ところが今はむしろすすんで体制側につく。自分たちを搾取している者たちを支持し、反体制を売国奴と罵っている。理由は虐げられすぎて体制側と対峙する余裕すらなくなったからではないか。
『おぼっちゃまくん』を描いていた時代には誰もが大学に行かせてもらえ、お金もあって反体制になる余裕があった。そして反体制には、世の中全体をどうにかしなくてはいけない、虐げられている労働者を救わなくてはいけない、というインテリのヒロイズムもあった。
だが今はそんな余裕はない。労組は正社員組合と化し、非正規雇用を守ってくれない。絶対弱者は体制に寄り添って、強者になる数少ないチャンスを何とか掴もうとしている。 彼らの一部は在日朝鮮人や中国人を激しく罵り、攻撃する。そこには何の思想もなく、ただストレートな反感を示す。若者が右傾化しているという指摘があるが、そのような左右イデオロギーの区分は意味がない。『戦争論』すら読んでいない彼らは「右」が何かもわかってはいないからだ。ただ排外主義化している。
残念ながら彼らを教育し、啓蒙する場はない。かつてはマスメディアが啓蒙の場としてそれなりに機能していたが、彼らは新聞や本をろくに読まない。マスメディアを通じた啓蒙は一定の人間には届くだろうが、大多数の人間には届かない時代になってしまった。
※SAPIO2013年4月号