東日本大震災発生から2年。多くのメディアが被災地・被災者の復興の努力や苦悩を描いている。大混乱の中で検証不可能な情報が錯綜し、津波や原発事故の苦しみに直面した人々の不安を駆り立てた。そうした“センセーショナルな報道”の「その後」はどうなったのか、追跡してみた。
北海道へ自主避難している親子309人の中から、「甲状腺がんの疑いがある子供が2人見つかった」と報じたのは、原発事故から約1年後の『週刊文春』(2012年3月1日号)だった。記事では、札幌の内科医が甲状腺検査を実施したところ、福島県郡山市から避難してきた7歳女児と4歳男児にがんの疑いがあると伝えられ、大騒動になった。
この報道はその後、検査をした内科医が記者会見を行ない、「がんの疑いがある」という記事上の自分の発言を否定。それを受け週刊文春側も記者会見を開き、誤報ではないと反論した。
郡山市内の小学校では、震災直後から実施されていた「運動会は屋内」「プールは禁止」などの厳戒態勢を、除染を条件に解除しようとしていたが、報道がきっかけで待ったがかかったところもあった。放射線の影響で我が子ががんになるかもしれないと考えれば、保護者が心配するのも無理はない。報道から1年。郡山市内の小学生は、いまどんな風に過ごしているのか。
「今年の運動会は外の校庭で実施予定です。プールの授業も再開します」――こう話すのは、市内の小学校教諭だ。事態はなぜ変化したのか。
「震災直後から、除染活動や、外での活動などに気を配ってはきましたが、昨年の報道で、保護者の不安は強くなりました。本来ならば、去年の夏から再開しようと思っていた運動会もプールの授業も、実施時期をいつにするか、かなりもめました。正直いって、あの報道には振り回されたという印象です。しかし、1年経った今では沈静化してきました」(前出・小学校教諭)
※週刊ポスト2013年3月22日号