自殺者が出た大阪市立桜宮高校バスケ部の体罰事件。その後も続々と体罰に関するニュースが報じられている。なぜ体罰はなくならないのか。フリーライターの清水典之氏が原因を探った。
* * *
「強豪校の指導者」はなぜ体罰に走るのか。そしてなぜ周りはそれを黙認してしまうのか。
「全国学校事故・事件を語る会」代表世話人の内海千春氏はいう。
「勝ったか負けたかだけで評価される環境に置かれると体罰が放置されてしまう。勝てなくなると、指導者は“なぜ勝てない”という怒りや焦りを生徒にぶつけてしまい、親や周囲も知りながら黙認してしまう。そうするとDV(家庭内暴力)と同じで癖になり、普段はおだやかな教師が部活になると豹変したりするのです」
DVでも同じだが、暴力を振るわれながら、時折「よくやった」などと優しい言葉をかけられると、「いい指導者だ」と勘違いしてしまう“洗脳”のような状態になりやすい。桜宮高校でも問題の教師を「熱血教師だ」と評価する声がある。
つまり「体罰があるくらい厳しいから強豪校になった」のではなく、「勝敗によりこだわる強豪校だから指導者が体罰に走りやすい」という側面があるのだ。もし勝てば、さらに暴力を容認する空気が蔓延して体罰が再生産される。そうして“伝統”は続いていく。
柔道女子日本代表選手ら15人が代表監督の暴力行為をJOC(日本オリンピック委員会)に告発した件について、五輪柔道で2つの金メダルを獲得したダビド・ドゥイエ氏が「フランスなら法廷行き」だと述べたが、世界では一流になるほど科学的な指導法が主流になるのが常識だ。
日本の部活動における“体罰神話”の拡大再生産を止めるためには、「体罰がないと強豪校にはなれない」という思い込みから、教師も親も生徒も解放される必要がある。そして何より、体罰から目を背け、“さわやか高校生”の美談ばかり振りまく大マスコミにも猛省を促したい。
※SAPIO2013年4月号