【著者に訊け】増田俊也氏/『七帝柔道記』/角川書店/1890円
「七帝柔道」とは、北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の旧帝大柔道部に今も受け継がれる寝技中心の柔道のことで、戦前の「高専柔道」の流れを汲む。現在オリンピック等で目にする講道館ルールの柔道と違い、試合内容はほとんどが寝技。
チーム総力の15人の団体戦で、「場外」も「待て」もない壮絶な死闘を〈カメ〉の姿勢のまま耐え忍ぶことも少なくない。「参った」なしが暗黙の了解のため、絞め技では落ちる(失神)まで、関節技では骨折するまで仲間のために戦い続ける崇高な世界だ。
この傍流の柔道に、かつて増田俊也氏(47)も青春を捧げた一人だった。当時、2年連続最下位に甘んじていた北海道大学の名門復活にかけた日々を描く自伝的小説『七帝柔道記』は、単なるノスタルジーやスポ根的面白さを超えて、生きとし生ける者全てに訴えかける青春群像小説だ。そこには笑いがあり涙があり、仲間がいた。喜びもそれを上回る苦しみもあったが、ただ一つないものがある。それは〈答〉だ。
井上靖の自伝的小説『北の海』に〈練習量がすべてを決定する柔道〉という言葉がある。作中で四高(現・金沢大)からスカウトに来た柔道部員が口にする高専柔道の核心をついたこの言葉〈小柄で才能のない者でも寝技なら練習量を極限まで増やせば必ず強くなれる〉に感銘を受け、旧制沼津中を出て浪人生活を送る主人公(洪作=井上靖)は四高を目指す。『北の海』は今なお現役の旧七帝大柔道部員のバイブルだ。
増田氏も高校時代に同書を読んで感動し、2浪の末、北大に入学。〈僕は北大に柔道をやりに来ました〉と入部挨拶をする主人公〈私〉の台詞は本当だという。増田氏は語る。
「『北の海』は洪作が四高受験を決意する場面で終わり、入部後のことは書いていない。だから僕なりの続編として、井上先生が書かなかったその先を、実在の人物と架空の人物を織り交ぜて小説で書いてみようと」
昨年『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅賞と新潮ドキュメント賞を受賞した氏の原点でもある本作は、私こと増田俊也が雪の残る4月の札幌に降り立つ場面から始まる。
高校時代の同期〈鷹山〉は1年早く北大に入りながら柔道部を辞め、「あんなの寝技ばっかりで柔道じゃない」「練習漬けで勉強も合コンも旅行もなんにもできん」と言ったが、結局、私は入部した。顔は怖いが広島弁のお茶目な3年目の〈和泉さん〉や面倒見のいい2年目〈杉田さん〉。〈冷血金澤、残酷岡田、陰険永田〉とも評される4年目の幹部たち。1年目も名門・佐賀造士館出身で3浪の〈沢田〉や、長髪のアイビールック少年〈竜澤〉など、個性的面々が揃う。
七帝戦は毎年7月に開催され、今年の舞台は京都。15人の団体戦は勝者が次の相手と戦う抜き勝負で行なわれ、金澤主将たち少数の〈抜き役〉と、手堅く引き分けに持ち込む大勢の〈分け役〉の配置も鍵を握る。最下位脱出のため北大の練習は凄絶を極める。
お楽しみもないではない。北大裏の喫茶店「イレブン」の〈クリぜん〉(=クリームぜんざい)→「鮨の正本」の〈梅ジャン〉(=梅ジャンボ寿司 極小のネタが載るおにぎり大の握り8貫と巻物3本で500円)→スナック「みちくさ」とハシゴし、払いは先輩が持つのも部の伝統だ。学園祭では〈やきそば研究会〉を騙る出店で遠征費を稼ぎ、〈カンノヨウセイ〉なる謎の伝統行事に血道を上げたりもしたが、ほぼ毎日が練習と食うことと寝ることで一杯一杯だ。
「お金や世事には関心を持たず、七帝で勝つことだけを考えていた。優勝を京大と分け合い、美酒に酔った東北大の先輩が、〈俺は今日は気分がいいんだ〉全部使え。と言って主人公に財布を投げるシーンがありますが、僕はそういう大人を初めて見たし、金澤さんみたいな強い人が泣くのも七帝戦で初めて見た。
僕は大人が流す涙を知ることで少年から青年になれた。あんなに辛いのになぜ真剣になれたのか、今でもわからないし、先輩たちも〈辞めるなよ〉としか言わないんです。でも、そうとしか言い様のないあの空間を言葉では説明できないから、小説に書いたのかもしれません」(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2013年4月5日号