“暴発寸前”の北朝鮮に対し米韓が超厳戒態勢を敷くなか、日本の捜査当局は昨年6月に詐欺事件で逮捕した運送会社社長の言行を注視していた。その男は当局が金正恩体制下第一号の工作員としてマークした人物である。公判の結審を目前に控え現在保釈中の男に、ノンフィクションライター・李策氏が独占直撃した。
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「久しぶりやな。いきなりでビックリしたで」
2月のある日曜日の朝、突然の訪問だったにもかかわらず、男は愛想よく握手を求めてきた。会うのは12年ぶりだが、闊達さは昔と変わらない。促されるまま、近所の喫茶店に向かった。
「あんまり長い時間、付き合うことはでけへんぞ」
そんな物言いとは裏腹に、男は数時間にわたり、私の取材に付き合ってくれた。口は重く、受け答えはあくまで慎重である。しかし、断片的に語られた言葉から垣間見えたのは、我々の見えぬところで進む北の情報工作の実態だった。
その男・吉田誠一(42)は、私にとって朝鮮大学校(東京都小平市)時代の、同じ学部のひとつ上の先輩にあたる。朝鮮総連の幹部養成を目的とする朝大は全寮制であり、われわれは狭い寮内で3年にわたり寝食を共にした。
卒業後は、総連の傘下組織で同僚だった時期もある。時には、私が中央省庁のクラブ記者たちと「勉強会」と称して開いていた飲み会に同席し、朝鮮半島情勢について夜を徹して話し合ったこともあった。
その後、われわれはいずれも総連を去った。吉田は家業の運送会社を継ぐ傍ら学究の道へ進み、国籍も朝鮮から日本へ変えている。
もっとも吉田の足跡を知ったのは、つい最近のことである。きっかけは昨年6月21日、大阪府警外事課によって逮捕された吉田が「北朝鮮の工作員である」と報道されたことだった。公安関係者が話す。
「吉田摘発は、警察の北朝鮮関連事案では久々の『大手柄』とされています。府警には長官賞が授与され、先日は捜査員ら約150人がホテルの宴会場で打ち上げを行なった。今後、外事捜査員の教本にも重要事例として載せられる予定です」
吉田は1970年、兵庫県で在日朝鮮人として生まれた。地元の朝鮮学校から朝大に進学。卒業後は同大学の講師を経て、総連の英字版機関紙で編集長を約2年務めた。同社を退社して家業を継いだのは、2002年ごろのことである。その後、2006年に神戸大学大学院に入学し、翌年には日本へ帰化した。
総連の機関紙編集長まで務めた人物が帰化するなど、在日社会では滅多に聞く話ではない。北の特殊機関員と接触し易いよう、海外で自由に動き回れる日本の旅券が欲しかったのだろうか。だとすると、吉田は一体いつ、本国からリクルートされたのか。私は、のっけから遠慮なく質問を浴びせた。
──報道を見て、本当に驚きましたよ。それにしてもいつからなんです?
「そう聞かれたら、10代の頃からと答えるべきやろな」
──それは世界観の形成過程の話でしょう。そんな話を聞きたいんじゃない。本国からの最初の“頼まれごと”は何だったんですか?
「その前に言うておくけど、オレは自分がスパイだなんて認めてへんし、違法な工作活動に手を染めていたわけではないんやで」
吉田は今月末に、大阪地裁での判決言い渡しを控えている。ただし、そこで問われている罪状は「詐欺」だ。中小企業支援のための公的な貸付制度を悪用。兵庫県と日本政策金融公庫から融資金計約2500万円をだまし取ったというものだ。ただ、これが吉田の活動を知るための“入口”として立件されたものであることは明らかだった。
「(詐欺は)家業の資金繰りが苦しくてやったことで、非は自分にある。取り調べにも素直に応じた。なのに、ぜんぜん保釈が認められず約100日も拘置された。取調官は朝から晩まで、工作活動がどうのとそんな話ばっかりや」(吉田)
※週刊ポスト2013年4月5日号