野球の世界一決定戦・WBCで打率5割5分6厘と脅威の数字を残し、大会ベストナインにも選ばれた中日・井端弘和(37)。この活躍を誰よりも喜んでいるのは、落合博満前中日監督ではないだろうか。
落合氏と井端といえば、監督就任1年目の2004年5月11日、ヤクルトに敗れて最下位に転落した試合後の発言が思い起こされる。
「今日の収穫は、井端のサードゴロ(併殺打)」
通常であれば非難される対象の併殺打を収穫と捉えた落合氏の真意は、どこにあったのだろうか。スポーツ紙記者が解説する。
「この発言の意図は、2番打者として、ランナーのいる場面になるとセオリー通りに右打ちばかりしていた井端に対してのメッセージだった。要するに、なんでもかんでも右打ちをすればいいわけではないということ。
セカンド方向に打てば必ずランナーを進められるとは限らないし、引っ張ってランナーを進めることだってできる。そもそも、右打ちと分かっていれば相手チームも守りやすくなるが、引っ張るケースもあるとなればそうはいかない。だからこそ、ランナーのいる場面で引っ張っていった井端の打撃を、『収穫』といったのでしょう」
この年、井端は全試合出場を果たし、初の3割を記録。落合監督就任1年目での優勝に大きく貢献し、翌年も、打率3割2分3厘と好成績を上げた。不振に陥ったときでも、落合信子夫人から「監督は骨が折れるまで使い続けるって言ってるよ」との言葉をもらうなど、落合氏と井端の絆は深い。
実際、2005年の年末に、井端は落合ファミリーが滞在していた和歌山県太地町にある落合博満記念館を訪れている。
「記念館は、名古屋から車で行っても8時間近く掛かる。正直、電車で行くのも便がいいとはいえない。あまりに遠すぎて、ファンさえ行くのに躊躇する場所です。ファンは『それでも来たいなら来れば、と落合監督が俺たちを試している』と勝手に解釈するほどです」(訪れたことのあるファン)
キャンプでは、鬼のノックを荒木雅博と井端に課していた落合監督だけに、通常であれば、オフにまで監督と会うのは避けたいと思うだろうが、井端は落合氏だけでなく、信子夫人や長男の福嗣君という“落合ファミリー”とも交友を深めていた。
当時撮影された落合氏と井端のツーショット写真は、今も落合博満記念館に飾られている。