大阪府立大手前高校3年生、久保田鈴之介くん(享年18)の容体が急変したのは、昨年末のことだった。中学2年生のとき発症した小児がんの一種、難病の「ユーイング肉腫」が悪化したのだ。食事が喉を通らなくなり、言葉を発することも難しくなった。
年が明けた1月19日、鈴之介くんは、思うように動かない体を車いすに乗せ、大学入試センター試験の会場に向かった。特別室の席につき、震える手で鉛筆を握り続ける。1科目終了するごとに倒れこむように横になり、また起き上がっては受験を続けた。
センター試験から4日後の1月23日、鈴之介くんは危篤状態に陥り、1月30日にこの世から旅立った。志望大学の二次試験を受けるという夢は叶わなかった。しかし、何事もあきらめず、ひた向きに未来を見つめた鈴之介くんのまっすぐな姿勢は橋下徹・大阪市長(43才)の胸を打ち、難病を抱える子供たちを支援する礎となった──。
鈴之介くんが背中に違和感を覚えたのは2008年6月、中学2年生の時だった。精密検査を受けると難病の「ユーイング肉腫」と診断され、大阪市立総合医療センターに入院した。
鈴之介くんは病気と闘いながら、院内学級で勉強を続けた。院内学級とは、病気などで入院中の児童・生徒が教育を受けるため、病院内に設置される教室のこと。近隣の特別支援学校などの分教室のかたちをとることが多い。
10か月の入院を経て、中学3年生に進級した4月に退院した。その後も病気というハンデに負けず勉強し、府内でも屈指の進学校である大手前高校に見事、合格した。しかし、難病が腕に再発し、2011年9月、病院に戻ることになってしまったのだ。高校生が通える院内学級は大阪府内になかった。悩んだものの、鈴之介くんはあきらめなかった。
「彼は高校の教室に小型のカメラを取り付けることを望みました。授業を撮影し、病院の部屋で視聴するためです。クラスメートにも手伝ってもらって教室の授業をリアルタイムで病室に中継し、みんなと “一緒” に授業を受けていたんです。しんどい中でも勉強に対する意欲を失わない生徒でした」(栗山校長)
病気は治療のかいあって順調に回復し、4か月後の2012年1月には退院が決まった。だが、鈴之介くんの胸には「なぜ高校生向けの院内学級がないのか」という思いが膨らんだ。そして、大阪市役所ホームページの「市民の声」へと、院内学級の設置を求めて次のようなメールを送った。
<僕は、まもなく退院と言われています。もし、院内学級ができたとしても通うことは多分ないでしょう。しかし、これから入院してくる高校生やまだ入院のかかる高校生のために何か役にたちたいのです。自分や自分と同じような不安に駆られた人と同じような思いはしてほしくないのです>
メールを受け取った大阪市旭区の山本正広区長(当時)は、「自分と同じ境遇の高校生のために」という鈴之介くんの気持ちに心を動かされ、橋下市長にメールを送付した。橋下市長の反応は早かった。即座に鈴之介くん宛てに以下のメッセージが送られてきた。
<久保田君のこのような状況に思いが至らず、本当にごめんなさい。僕ら政治家は大きな話をしたがるけど、久保田君一人を救えないなら政治なんか要りません>
橋下市長が松井一郎・大阪府知事(49才)に働きかけ、非常勤講師を週3回、長期入院中の高校生の病室へ派遣する制度が2012年4月からスタート。鈴之介くんの一途な信念が行政を動かしたのだ。
※女性セブン2013年4月11日号