電池が切れても漕ぐ力で充電を始める回生機能を搭載した電動アシスト自転車が、いま話題になっている。東部の『エアロアシスタント』だ。この人気商品の誕生までの歴史は長い。
昭和3年(1928年)、名古屋市内で創業した1軒の自転車卸店。建築業界に身を投じていた東部代表取締役・後藤秀雄(60)が家業を継いだのは、先代だった父が心臓病で倒れた昭和58年。創業から55年、昭和40年代に一世を風靡した地元メーカー・ツノダ自転車の代理店として、地域に根ざした営業を展開し成功を収めていた。
1998年、その後藤に転機が訪れた。車載用モーターのメーカー、明電舎が電動アシスト自転車市場への参入を目論み、後藤の元へ業務提携を申し入れてきたのだ。5年前の1993年にヤマハ発動機が世界で初めて開拓した市場だった。
年間800万~1000万台といわれた自転車市場のうち、電動アシスト自転車がしめる割合はわずか約14万台だった。重電5社の一角を占める明電舎の回生モーターは電車などに採用され、有名だった。規模や資金も、後藤の会社とは比較にならないほど大きい。
「当社には技術はある。しかし自転車のノウハウはない。是非協力してほしい」。後藤はその話に乗った。
試作を繰り返すたびに、性能は格段にアップしてきた。その技術の高さに、後藤自身驚くことも多かった。電動アシスト自転車には発電と放電を管理するシステムが必要だ。そこにセルシオなど高級車にも搭載されていた32ビットCPUが組み込まれていることには半ば呆れた。
「なんと贅沢なことをするんだ。これは他社がマネをしようと思っても絶対にマネできない」
開発がスタートして5年が経過したとき、会心の電動アシスト自転車が完成した。市場投入を図ろうとするメーカーに後藤は待ったをかけ、社長に、このモデルを持って全国の自転車店を回ることを提案した。
「発売前にお客さんや販売店の意見を直に聞きましょう。物事は完璧にやったつもりでも、完璧などない」
2人は半年以上をかけて北海道から沖縄まで約200軒の販売店や卸店を回り、販売現場の声を徹底的に聞き込んだ。今も社員に「クレームは宝だ」と教え込む後藤の原点はここにある。不満の声を丁寧に聞き取り、ギリギリまで改良を加えていくのだ。
発電モードを搭載した『エアロアシスタント』シリーズの年間生産台数は5000台。これが精一杯の数字だ。中小企業のため宣伝費はかけられないが、「こち亀」でおなじみの漫画家秋本治や野球評論家の衣笠祥雄など、愛好者は多い。ファッション誌の誌面を飾ることも珍しくない。
取材後、『エアロアシスタント』を試乗した。電動モードではペダルを踏み込むとグイグイと加速し、軽快さを体感した。充電モードに切り替えても従来の自転車と変わらない。自転車を漕ぐだけで充電できるとはなんとも嬉しい。
後藤は語る。「特殊な構造によりパンクしないタイヤを採り入れた自転車を発売しました。現在、製造が間に合わないくらいのオーダーが舞い込んでいます」
●取材・構成/中沢雄二(文中敬称略)
※週刊ポスト2013年4月5日号