今季F1では31年ぶりに日本勢が姿を消した。一方で飛び込んできたのがホンダがF1向けエンジンを開発中で2015年にも参戦か、というニュース。再び走り出すことを決意したホンダの深層をモータージャーナリストの赤井邦彦氏が描く(文中敬称略)。
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今年も3月17日、オーストラリア・メルボルンでF1グランプリが開幕した。レッドブルやフェラーリ、メルセデスといったチームの活躍に沸き立つなか、パドックではもう一つの話題が飛び交っていた。ホンダのF1復帰説──現在、F1向けの新型エンジンを開発中で、早ければ2015年からマクラーレンに供給するという話である。
そうした光景を眺めながら、ホンダのF1復帰は世界中のモータースポーツファンからも猛烈に期待されていることを実感した。
2000年から2008年まで参戦した第3期のF1活動では、200戦近く戦いながら僅か1勝しかできなかった。おかげでF1 におけるホンダ株は急降下したのだが、それでも2008年に撤退してこの方、ホンダ復帰を期待する声は止むことがない。不思議な現象といってもいいだろう。
振り返ってみると、ホンダが初めてF1に参戦したのは1964年(第1期)のことだった。ホンダがまだ四輪自動車を世に送り出す前で、創業者・本田宗一郎のかけ声ひとつで始まった。東京オリンピック開催、東海道新幹線開通といった、日本が国を挙げての成長期の端緒にあった頃である。本田宗一郎は生前、クルマは厳しいレースで鍛えられて初めて良くなると説いていた。
「レースはやはりやらなきゃならない。レースによって、自分の力量や技術水準が世界のどのくらいにあるかを知ることができるし、それによって経営の基盤をどこに置いたらよいかを決めることができるんだから」
道楽だと批判する内外の声にはこう返したものだ。
「乗り物は一つ間違えると生命にかかわることだってある。こういう交通機関をつくっている我々は、レースを通じて得られた結果を早く製品に取り入れて、より安全な交通機関をお客さんに提供する義務がある」
第1期のF1挑戦は1968年まで続けて2勝した後、市販車用低公害エンジン開発(後のCVCC)のために活動を休止している。その後2015年のブランクを経て1983年に復帰、1992年まで活動を行った。
第2期F1活動と呼ばれるこの時期には、欧州の名門チームであるマクラーレンらにエンジンを供給し、アイルトン・セナやアラン・プロスト、中嶋悟を擁して実に69勝を挙げている。1988年には年間16戦15勝。このインパクトが非常に強く、今回沸き起こったホンダF1復帰待望論は、ここに立脚していると考えて良いだろう。
※週刊ポスト2013年4月12日号