持統天皇の御代西暦690年に第1回目が開かれた式年遷宮。20年ごとに連綿と受け継がれてきた行事は今年62回目が執行される。それに合わせたかのように、近畿日本鉄道の新型観光特急・「しまかぜ」が満を持してデビュー。常識を度外視して目指したものとは――。
開発担当者の話を聞く前に記者は試乗車に乗り込んだ。先頭と最後部の車両は見晴らしの良いハイデッカー。横3列で統一されたシートは全席本革。東北新幹線「はやぶさ」のグランクラスを彷彿させるシートは、電動リクライニングや内部からマッサージするように腰を優しく押してくれるエアークッションも内蔵している。座り心地はまさに、ラグジュアリー。
別の車両に移動すれば、そこは個室車両。4人で使える個室は和風と洋風、大きな窓に向かって座席をレイアウトした2階建てカフェ。各エントランスには天然の御影石が敷き詰められており、まるで庭園のよう。すべてが優雅、すべてが斬新だ。
江戸時代には「一生に一度はお参りしたい」と庶民の憧れだった「伊勢参り」は、日本人にとって特別な旅だった。その「特別な旅」を現代に演出しようという心意気が感じられる車両なのである。
鉄道車両一筋20数年。『しまかぜ』開発の指揮を執った近畿日本鉄道、鉄道事業本部技術管理部長の湖東幸弘がこう切り出す。
「目指したのは乗ること自体が旅の目的になる観光特急。『伊勢に行くなら近鉄に乗ろう』だけではなく、『この特急に乗りたい』と思ってもらいたかった」
常識破壊の鉄道車両開発が始まった。湖東らは観光列車の先駆地九州を始め、全国を回って、「ゆったりとくつろげる上質なシート」とは何か、を追い求めた。椅子の専門家にも意見を求め、快適な座面と背もたれの角度など技術的なことも勉強した。
ノルウェーにストレスレスチェアがあると聞けば、大型家具店に足を運び確かめた。
「座った瞬間にこれだ! と思いました」
と湖東を唸らせたのは、エアークッションを使ったソファ。その技術を応用すべく、いくつかのメーカーに打診したが、けんもほろろに断わられ、実現までには紆余曲折があった。
同様のことは、床に御影石を採用することでも発生した。
大勢の人が乗降する鉄道車両。汚れや、飲み物など液体をこぼした際のメンテナンス、また割れやすいのではないかという不安もあった。これも鉄道車両の常識からいえば、「本当にやるの?」といわれてもおかしくはなかった。
だが、湖東らは、乗客が乗り込んだ瞬間の「驚き」を最優先した。
投じられた金額は設計費を含めて約37億円(2編成12両)、制作費は通常の車両より3割高。膨大な時間も費やされた。
3月21日の『しまかぜ』の初運行日。発車を待つ大阪難波駅ホームは、1か月前の発売日に2分で売り切れたチケットを手に入れた観光客と、多くの鉄道ファンであふれかえった。
「乗車したときから“わくわく”する魅力的な車両を造り上げるために全力を尽くしました。でもチャンスがあればまた一からトライしたいです」
湖東はそういいながら、『しまかぜ』の先頭車両を見あげた。
■取材・構成/中沢雄二(文中敬称略)
※週刊ポスト2013年4月12日号