【著者に訊け】堀川恵子氏『永山則夫 封印された鑑定記録』/岩波書店/2205円
本書は連続殺人犯・永山則夫の肉声を伝える、おそらく最初で最後の記録だ。1968(昭和43)年10~11月にかけて東京・京都・函館・名古屋で4人を射殺した19歳の少年が、早朝の原宿で自殺を図り、死に切れずに警官に発見されたのは翌1969年4月7日。
〈少なくとも逮捕されるその日まで、彼にまなざしを注いだ人間は誰もいない。集団の最小単位である“家族”を含めてである。そういう意味で彼は、どこにもいなかった。いることができなかったからこそ、事件は起きた〉
堀川惠子著『永山則夫――封印された鑑定記録』では、永山の精神鑑定を担当した医師・石川義博氏が密かに保管していたテープをもとに、約100時間に及んだ対話を再現。実は今もって事件の真相に唯一肉薄する報告書でありながら、その存在を封印されてきた石川鑑定書に約40年ぶりに光をあてる。そこには貧困でも無知でもない、真の犯行動機が語られていたのである。
昨年秋放送のETV特集『永山則夫 100時間の告白』をご記憶の方も多いだろうか。優れたドキュメンタリー番組の作り手として知られる堀川氏は永山の肉声を丁寧に追い、彼との出会いによって生き方すら変えた石川医師の表情は、広く世間に感動を呼んだ。
「ただし永山の幼少時から犯行時に至る心理に迫った石川鑑定の核心は活字でしか伝えられないものでした。特に〈カラマーゾフの兄弟〉を想起させる兄たちとの確執は本書でこそ書くことができた。全部で49本あったテープを毎日聞きながら、時々の彼の心の淵に私自身、身を浸すようにして書き、原因不明の熱が何度も出たのも初めての経験でした」
発端は支援者が代々保管する遺品の中に、〈テープを前にして、問診あり〉と書かれた日記を見つけたことに始まる。〈永山則夫の肉声が、録音されている〉!? 都内でクリニックを開いていた石川医師に早速連絡を取り、訪問を重ねること実に2年。当初は頑なだった石川が〈あなたに預けます〉と言って個人的に保管するテープやカルテを託したのも、彼女の誠実さを見て取ったからに違いない。
「たぶんその2年間に先生ご自身も、私のせいで振り返らなくていい過去を振り返って下さったんだと思う。本当にいろんな意味でずっしり重い、預かり物でした」
公判で証言を拒む一方、葛藤をノートに綴り、1971年発表の手記『無知の涙』で注目された永山の再鑑定は、1974年1~4月、石川が当時勤めていた八王子医療刑務所で行なわれた。イギリスで最新の精神医学を学んだ石川は〈カウンセリング〉の手法を用い、生後最初の記憶を訊くことから始めた。
〈んとね……、帽子岩の近くの海岸。白いね、なんていうか、大きな貝殻あるでしょ、ほら貝かな、それが浜辺にいっぱいあったよ〉
〈セツ姉さんにおんぶしてもらったこと覚えてる〉
〈おふくろの記憶、全然ないんだ、親父の記憶もない〉
■構成/橋本紀子
※週刊ポスト2013年4月19日号