代々“高麗屋”の屋号を継ぐ歌舞伎役者の家に生まれた七代目・市川染五郎(40才)。このほど、著書『染五郎の超訳的歌舞伎』(小学館)を上梓した。難しい、堅苦しい、近づきがたい、と敬遠しがちな伝統の世界を、わかりやすく説いている。
染五郎といえば、昨年8月、大けがを負い、休演したことが思い出される。
「事故の直後は、二度と舞台に立つ可能性はないものと思っていました。その後も、みなさんにこれほどご心配とご迷惑をかけた自分が、この先舞台に立っていいものか、と考えていました。それが、こうして生かされ、また舞台に立つことができて、自分でも奇跡的なことだと思っています。生かされたものとして、やらなきゃいけないという責任を強く感じます」(染五郎・以下「」内同)
と染五郎は居住まいを正した。責任という言葉に、伝統を守り、精進し、同時に新しい風も吹かせたいという決意がうかがえる。その言葉通り、けがから復帰した今年の2月から5月まで、4か月連続で歌舞伎の舞台に出続ける。
この4月に歌舞伎専用の劇場である歌舞伎座(東京・中央区)が新装されてにぎわっているが、「ありがたいこと」と言いつつも、
「この先、この劇場の存在感を大きくするのも小さくするのも、ぼくたちの世代にかかっていると思います」
と、さらに責任を強く感じさせる言葉を重ねる。
ところで、芝居一色の日々の中での楽しみは?
「子供が小さいですから、一緒に遊ぶことですかね。といっても一緒に食事に出るくらいですけれど」
長男の松本金太郎(8才)は、4才で初舞台を踏んだ。父と子であると同時に、同じ役者として稽古に励む日々だ。歌舞伎座のこけら落とし公演には、演目は違うが、共に出演する。
一方、長女の松本美瑠(6才)は、音楽の道を見据えてすでにデビューしている。
「息子の場合は、代々築かれてきた高麗屋を背負うことになるでしょう。日々励んでいる稽古の先には舞台があるんです。でも、娘には背負うものがないのですから、同じように踊りの稽古をしても、稽古のための稽古で終わってしまう。それよりも、音楽をやってくれればいいなと思って、ピアノを習わせています」
歌舞伎には進めなくても、日本舞踊松本流の家元になる道は開けているのでは?
「ぼくはちょっと複雑な性格をしているんで…(笑い)。彼女なりの世界をつくってあげたいと思って、日舞よりはバレエをすすめますね」
意外な言葉に、こちらがとまどっていると、
「もしも将来、娘が日本舞踊を選んでいたら、ぼくとの間に相当なバトルがあって、ぼくが負けたんだと考えてください(笑い)」
※女性セブン2013年4月18日号