2012年夏には、埼玉で「青」と「黒」の2つの対立するカラーギャングがぶつかり合い、3月末までに大量の逮捕者を出すという事態が起きている。カラーギャング隆盛の背景には、アメリカのストリート・ギャングの影響がある。
1988年、『カラーズ 天使の消えた街』(デニス・ホッパー監督)というロサンゼルスを舞台にした映画が日本でもヒットしたが、そこでは「クリップス」と呼ばれる青ギャングと、「ブラッズ(血)」という赤ギャングの抗争が描かれている。当時、ロサンゼルスには600の組織、7万人に及ぶストリート・ギャングが存在したという。
同時に、当時のアメリカ西海岸はヒップホップという、音楽やファッションを核とした文化の最先端だった。そのヒップホップ・カルチャーが日本に流入するのと同時に、カラーギャングという不良文化も“輸入”されたのである。
2000年からの数年間、新宿・歌舞伎町や池袋などの繁華街にはカラーギャングが溢れることになる。2000年にテレビドラマ化された『池袋ウエストゲートパーク』(石田衣良著、文藝春秋刊、1998年)では彼らの抗争が生々しく描かれている。
20代後半の黒ギャングOBがいう。
「最盛期には埼玉や千葉、神奈川に300人規模のチームがいくつかあった。カラーは主に青、赤、白、黒。同じカラーでもその中には本拠地が違うチームが複数あって、たとえば赤同士でも敵対することがある。“どっちが本物のブラッズ(赤)か争ってケンカする”なんてこともしょっちゅうだった。反対に、白と黒のアタマが地元の友人だから連合して暴走族相手にケンカしたこともあったね」
このOBが所属していたのは埼玉県東部を根拠地とする最大100人以上のメンバーを誇った黒ギャング『Z』(すでに解散)だ。しかし、事件を起こした前出のさいたま市北区の黒ギャングはチーム名を『B』といい、『Z』との繋がりはないという。同じ「黒」であっても、別々に活動するチームが存在するのだ。
※週刊ポスト2013年4月19日号