ファイティング原田、海老原博幸、大場政夫──。日本中を歓喜の渦に包んだ白井義男が、その王座を明け渡して8年。長き世界王者不在の時代を経て訪れたのは、「黄金時代」ともいうべき日本ボクシング界の絶頂期だった。『ボックス!』『「黄金のバンタム」を破った男』の著者でもあり、自身もアマチュアボクシング経験者である作家、百田尚樹氏に当時を振り返ってもらった。
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日本ボクシング史上誰が最も偉大なチャンピオンかと聞かれたら、私はファイティング原田の名前を挙げますね。
1962年10月10日に行なわれた世界フライ級タイトルマッチで、原田はポーン・キングピッチに勝って日本人2人目の世界チャンピオンになります。当時、私は小学1年生でしたが、テレビの前で普段は大人しい父と、父の友人が興奮する姿を見て、「すごいことが起こったんだ」と感じたのを覚えています。
現在ボクシングの世界チャンピオンは、主要4団体17階級で暫定王者などを含めると70人以上もいます。でも、当時は1団体8階級のみ。つまり世界王者は8人しかいなかった。当然、その価値は今とは比較にならないほど高いものでした。
その中で、原田は2階級制覇をしている。しかも2つ目のタイトルを獲った時の相手は、「黄金のバンタム」と呼ばれ、いまなお歴代最強といわれるエデル・ジョフレです。原田がジョフレに勝ったことは世界中を驚かせる偉業でした。ちなみに、ジョフレは19年に及ぶ輝かしいリング生活で喫した敗戦は僅かに2敗。その2敗はともに原田に負けたもの。歴史に名を残す名王者に勝ったことも、原田の偉大さを示していると思います。
原田の凄さはテレビの視聴率にも表われています。1965年のアラン・ラドキン戦が60.4%で歴代8位、1966年のエデル・ジョフレとの再戦は63.7%で歴代5位。歴代視聴率のベスト10に原田の試合が2つもランクインしているのです。この時代は、ちょうど高度経済成長期。当時の日本人は、激しくラッシュする原田の姿と必死に働く自分達を重ね合わせていたのかもしれません。
●ファイティング原田/1943年4月5日生まれ。東京都世田谷区出身。1960年プロデビュー。62戦55勝(22KO)7敗。
※週刊ポスト2013年4月19日号