「課長、この会社にあと5000万円融資できれば立ち直ります」
「あそこは2期連続の赤字だろう。未来なんか考えなくていい。過去の実績だけ考えろ」
「なんとか支店長に決裁をお願いできませんか」
「そんなもの支店長でも決められるわけがないだろう。本部に回しても断わられるのがオチだし、諦めろ」
「じゃあ、どうやって融資すればいいんですか……」
残念ながら、これがわが国の金融機関の姿である。バブル崩壊後、不良債権処理に追われた日本の金融機関は一斉に貸し渋りに走った。その結果、「蛇口の締め方しか知らない銀行」が日本経済の発展を妨げてきた一因であったことは否めない。
アベノミクスを実現すべく、新たに日銀総裁となった黒田東彦氏が「異次元の金融緩和」といくら意気込んでカネをばらまいても、肝心の金融機関に「企業にも個人にもカネを貸さない文化」が蔓延してしまっているようでは、景気回復もおぼつかない。そして、これは一朝一夕では解消できない根深い問題でもある。
この「失われた20年」の間に、金融機関の花形部署は大きく変わった。バブル期には融資担当が花形で、将来の幹部候補生は必ず融資畑を経験したという。
「特に地方経済を活性化してきた信用金庫や信用組合では、それこそ中小企業の経営者の生活にまで深くかかわっていた。たとえばベンツで来店するような経営者がいると、支店の融資担当者が『そんな資金があるなら借りる必要はない』と具申し、国産のライトバンに変えさせたりするなど、自分が地域金融を支えているというプライドを持って仕事をしていた」(信金幹部)
こんなやりとりも日常的だったという。
「仕入れの資金がないので頼む。1週間後には返すから」と中小企業の社長から頼まれれば、担当者のみならず課長や支店長までが協力して企業支援に回った。「そのような信頼関係によって成り立っており、取引先企業と一緒に成長していく文化だった」と同幹部は述懐する。
ところが、バブル崩壊で金融機関を取り巻く状況は一変する。
広く預金を集めて、預金金利と融資で得られる返済金利との差によって儲ける「利ざやビジネス」は巨額の不良債権を生み出したことですっかり鳴りを潜めた。それに代わって登場したのが、投資信託や保険などさまざまな金融商品を取り扱うことで得られる「手数料ビジネス」である。
新たな収益源を求めて、金融商品を開発する「商品開発」部門や新たなサービスを提供する「業務開発」部門の地位が高まる一方、融資部門は相対的に地位を落としていった。
収益が悪化した金融機関の再編が進んだこともあり、かつては横並びだった支店の機能も商圏に応じて見直された。企業も個人も相手にする総合店舗から、法人店舗や個人店舗などに色分けされた。総合店舗でも預金の引き出しや振り込みといった従来の営業スペースを縮小し、融資や資産運用の相談などをじっくり行なう応接スペースを拡大。
しかし、実際には「投資信託の販売など運用相談が新たな収益源となる一方、融資に関しては断わるための説得スペースと化している」(メガバンク幹部)との声も聞かれる。
そうした中で融資部門の存在感はどんどん薄れていったという。
※週刊ポスト2013年4月26日号