4月14日に急性呼吸不全で亡くなった三國連太郎さん(享年90)。1951年、28才で俳優デビューした三國さんは、その時演じた「三國連太郎」という役名を芸名とした。
彼が「怪優」と呼ばれるきっかけとなったのは、1957年の映画『異母兄弟』。当時33才の三國さんは、老人を演じるために前歯を10本抜いた。しかも抜歯後に言った一言が「いい顔になったなぁ」だった。
1984年に紫綬褒章を受章するほどの偉大な父に追いつけとばかりに、息子の佐藤浩市も走り続けた。映画初主演となった『青春の門』(1981年)でいきなりブルーリボン新人賞を獲得。トップスターへの階段を一気に駆け上った。
しかし父の背中は、なかなか見えてこなかった。1988年に舞台『ドレッサー』で三國さんと共演した渡辺えり(58才)は、彼の台本が真っ黒になっていて驚いたというエピソードを明かしたことがあった。三國さんは稽古前に台本を600回も読んでいたのだ。さらに練習のしすぎで、口の中の唾の出る腺がつまり、手術する事態になったこともあったという。
※女性セブン2013年5月2日号