背景のセットもなく、小道具は扇子と手拭いのみ、動かすのはせいぜい上半身だけ、メイクもしなければ衣装も着ない。そして1人の演者が言葉、声色、表情、身振り、手振りだけで老若男女を演じ分ける。
落語という芸は極めてシンプルであり、それゆえに演者は大事なことを伝える真のコミュニケーション能力を、観客はそれを受け取る想像力を求められる。
だが、最近の日本人はそれらコミュニケーション能力や想像力を欠いているのではないか。様々な悲惨な事件が起きる背景にはそうした日本人の劣化があるのではないか──。六代桂文枝師匠(69)はそう危惧している。
──最近、イジメや体罰を苦にして子供が自殺する事件や、スポーツ界の暴力事件が相次いで問題になっている。「人」を演じる落語家として何を感じるか。
文枝:日本人の心はずいぶん荒んでしまったなと思いますね。と同時に、コミュニケーションを上手くできない人が増えたと思います。自分の思いを言葉に乗せて上手く相手に伝えることができないから、つい苛立ち、手を出し、暴力を振るう。言葉はあっても、命令や罵倒のように一方通行のものが多い。今の日本人はもっと話し上手になる必要があります。
──イジメや体罰をなくそうという声は聞こえてくるが、なかなかなくならない。具体的に何をすればいいのか。
文枝:話し上手になる方法のひとつは聞き上手になることです。そのためには、手前味噌になりますが、落語をお勧めしますね。
落語には人情をテーマにした「人情噺」と呼ばれるジャンルがありますし、「滑稽噺」の中にも人情が散りばめられています。そういう噺をたくさん聴けば、自然と人情の大切さがわかり、自分の話す言葉にも人情が込められるようになります。
そうすれば人と人のコミュニケーションが円滑になり、イジメや制裁も減り、日本はもっと良い方向に行くと思います。落語の人情は世界に通用するものなのです。昨年パリで行なった公演であらためてそのことを実感しました。
※SAPIO2013年5月号