「一番苦心した点は音響でした。劇場の容積が増えたうえに、柱を取り払ったこともあって音響効果は変わってしまう。それを同じにするために、10分の1のサイズの模型をつくり、完全に再現できるまで実験を重ねました」
そして、音が反射する天井の形状を微細に調整、見た目の印象を変えないまま先代と同じ残響時間を実現した。この4月に開場した5代目・歌舞伎座──10年にわたる巨大プロジェクトを終え、設計を担った建築家・隈研吾氏はこう述懐した。
「普通の建物を設計するときの3倍は時間がかかりました」(隈氏。以下、「 」内同)
先代の建築を踏襲するという基本方針を守りつつ、新しい歌舞伎座を生み出す苦悩がそこにあった。元の姿の踏襲という点では、各人が思い描く「歌舞伎座」がどの時点のものか、なにを採用するのかで議論が起こる。ここで隈氏が意識したのは「歴史を踏まえて時間を継承する」ことと「艶っぽさ」だった。
「たとえば外観の白。白と一言でいってもまったく違う。3代目は初期の純白から後期はベージュがかった白。先代は何回も塗り替えて最後は少し黒みがかった白だった。そんななか、真新しい感じではなく、時間の流れでとらえて受け入れられる白にしようと苦心しました」
同じ天候条件で何種類もの白を実際に塗って比べた。60種類の白から4種類へ絞り、そしてケイ素系の粉体塗装という最新技術を取り入れることで「艶っぽい白」を手に入れた。もう一つ、隈氏が目標に設定したのは、劇場と街を繋ぎ直すということ。
「江戸時代、歌舞伎座と町は一体となって『芝居町』の役割を果たしていた。ところが、明治に入ってコンクリートづくりになり、閉ざされた空間となってその関係が断ち切られてしまった。私の役目は、もう一度その関係を戻すことでした」
劇場東南の角に広場をつくり、通り側はガラス張りに。表からだけでなく通りからも売店内に入れるようにした。5階には自由に出入りできる屋上庭園も整備、地下鉄東銀座駅と連絡する地下にも広場を新設、開かれた「芝居小屋」となっている。
「歌舞伎は他の伝統文化とは異質の自由度もある。まさにそこに建築家冥利に尽きる面白さがありました。制約があるからこそ、楽しむことができるんです」
撮影■太田真三
※週刊ポスト2013年5月3・10日号