古今東西の女性が頭を悩ませてきたのが「ダイエット」の問題。「なるべく簡単に」「なるべく早く」「なるべく効果的に」と様々なダイエット方法を伝えてきた女性セブンが、「ダイエットの50年」を紹介している。ここでは女性セブンが創刊された1963年(昭和38年)から1979年(昭和の54年)までを振り返る。
昭和38年9月4日号の和田式美容体操。これが本誌で“やせる”ことを大きく扱った最初の記事だ。考案者は、和田研究所所長の和田静朗(敬称略、以下同)。「ダイエット」という言葉はまだない時代だった。
昭和28年にミス・ユニバース世界大会で伊東絹子が3位に入賞する快挙を成し遂げたことで、それまで着物を着ていたためボディーラインを気にしていなかった女性たちがこぞって美容体操というものにめざめたところだった。和田式はミス・ワールドを育てた実績で人気となり、体操特集は何号にもわたって紹介されている。さらに加山雄三の母である女優・小桜葉子も整美体操の指導者として登場。47才とは思えない美貌で人気を呼んだ。
スタイルの価値観に革命をもたらしたのは「ミニスカートの女王」こと、イギリス人モデルのツイッギー(小枝という意味。右写真)。昭和42年に来日した際、ひざ上30 cmのスカートから伸びる細い足に日本中が魅了され、ミニスカートブームに。
昭和45年、タレント本の元祖、弘田三枝子の『ミコのカロリーBOOK』が150万部のベストセラーに。このときから「カロリー」という言葉が広がることとなる。弘田三枝子が1年で10kgの減量に成功したことが、多くの女性に大きな希望を与えた。
次々にブームが起こるダイエット流行史が始まったのは昭和50年から。その最初が紅茶キノコ。多くの家庭で知り合いから分けてもらって飲んだ。紅茶にキノコに似た酢酸菌と酵母が浮いている液体が培養されたもので、“健康にいいと同時にやせる”ともいわれてブームになり、当時の記事には随筆家の故・白洲正子や海老名香葉子も飲んでいたとある。
ダイエット器具も続々登場。ぶら下がり健康器、ルームランナー、ベルトマッサージ機など自宅でできる手軽さが人気となり、大ヒットに繋がった。一方、続けられなくなった器具が粗大ゴミと化す家庭も多かった。昭和54年には鉄観音茶が話題に。火付け役はゴダイゴのミッキー吉田。「2週間で4kgやせた」という発言で売り切れ店が続出した。
※女性セブン2013年5月9・16日号