“平地”のレースでさえ危険を伴う競馬。それが障害レースともなれば、なおさらのことだ。作家の山藤章一郎氏が、競馬の障害レースの現場に迫った。
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転倒、落馬では、競馬史に残る熱い逸話がある。1967年の阪神大賞典、ダービー馬〈キーストン〉は、その日も2馬身リードの強さを見せ、最後の直線を行った。だが突如、左前肢を崩れさせ、騎手・山本正司は振り落とされた。馬は肢を折ると激痛に押し寄せられ、その場でふらふらと舞う。
だが〈キーストン〉は、前方から5歩10歩、足先をひきずりながら、戻ってきた。そして倒れて意識を失っている山本騎手をつつく。山本がようやく起つ。馬は山本に寄り添って離れない。
骨折した馬は、500kgに近い体を支えられず、内臓疾患を起こす。薬殺処分のほか、道はない。〈キーストン〉は最後の別れを山本に告げていた。このようすは〈YouTube〉で見られる。
障害レースに200勝し、平地でも157勝するという前人未到の記録を持つ元・騎手、現・調教師・田中剛(52)も、馬との別れは数多くあった。
「脚が折れるときは、ボキッでも、グリッでもない音と一緒に、下から、不気味なものが這いあがってきます。連日の調教に耐え、ギャンブルの対象にされ、ひっくり返って脚を折って殺される。俺はなんでこんな仕事を選んだのかと、そのたび泣きました。しかし、勝ちも負けもおのれのケガも馬との別れも、すべて含めて、レースは次に進むんです」
障害レース中の落馬で後ろの馬が突っ込んできたことがあった。くそっ、骨折れたのかよ。ジョッキールームで救急車を待つあいだ、缶ビールをあおった。病院に着いたが、2時間ほど待たされるという。寿司屋に行った。探しにきた女房が声をあげる。「あんた何やってんのよ」
「頭にきたから、飲んでんだ」
入院して、戻ってきた。片腕で乗った。さすがに力が入らない。
「でも、勝っちゃった。そのあとも4連勝。ただそれから大変で。骨をつないでいたボルトとワイヤーがだめになり、骨盤からとった骨に入れ替えて」
結局、半年休んで、思った。
「挫折を教えてくれる競馬だから、生きられた。少しは成長できた」
※週刊ポスト2013年5月3・10日号