中国の習近平・国家主席が今年3月1日、路上でタクシーに乗って、運転手に北京の大気汚染について語り、さらに国家主席という自身の身分を見破られると、「一帆風順」(順風満帆の意味)と揮毫(きごう)までしたという4月18日付の中国系香港紙「大公報」のスクープが実は誤報だったというニュースは世界中を駆け巡った。
これに対して、同紙はすぐに訂正を出し、ホームページからも記事を削除したが、本当に誤報だったのか。いまだに釈然としない。『習近平の正体』(小学館刊)の著書もあるジャーナリストの相馬勝氏が、その6つの謎を追った。
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大公報はこの記事を「特ダネ」として、新聞の1ページ全面を使って、このタクシー運転手や揮毫、タクシーなどを大きな写真入りで報じた。スクープとしては当然の扱いだったのに、なぜあっさりと誤報と認めたのか。さらに、この記事について中国国営の新華社通信の扱いが二転三転するという新たな謎が加わる。
新華社は同日午後2時過ぎ、「新華社が北京市交通部門に取材した結果、交通部門と当該媒体(大公報)は事実であると確認した。(習主席がタクシーに乗ったという)状況は事実である」と報じたが、その3時間後の午後5時過ぎ、一転して「虚偽の報道である」と伝え、大公報のスクープである“美談”を否定。その20分後には大公報も誤報を認め謝罪した。
この新華社の対応も不思議と言えば不思議だが、大公報も自信満々に報じたわりには、あっさりと誤報を認めた態度は報道機関として極めておかしい。事実ならば、社内調査を待ってからでも遅くはないはずだ。それなのに、あっさりと誤報と認めたのは、中国当局から大きな圧力がかかったとみるべきだろう。
第3の謎はだれが、この記事を書いたのかという点だ。記事の署名は大公報北京支社の王文韜・支社長と馬浩亮・副総編集長の2人。王支社長はかつて新華社通信の北京ニュース情報センターの副主任を務めたこともあるベテラン記者。さらに、馬氏は大公報入社以来、10年もの記者歴があり、同紙の北京発の重要ニュースを発信してきた記者だけに、この2人の連名の署名記事が裏付けのないものであることは信じがたい話だ。
王支社長は“古巣”の新華社から否定されたことで、事実関係はどうあれ、新華社の指示に従わざるを得なかったのではないか。
第4の謎はタクシー運転手が実在したのかという点だ。大公報は紙面で、習主席を乗せたタクシー運転手の写真をでかでかと掲載し、北京市近郊の平谷県に住む郭立新氏であると報じた。さらに、習主席が書いたという「一帆風順」という揮毫の写真も載せていた。
ところが、香港メディアが郭氏の勤務するとされるタクシー会社に確認するとそのような人物は存在しないという答えが返ってきたという。では、写真の人物はだれだったのか。まさか、100年以上の歴史を誇る大公報ともあろう歴史ある新聞が運転手をでっち上げたということもあろうか。これも、当局によって、タクシー会社に圧力がかかったとみるべきか。
第5の謎は誤報事件に共産党当局が深くかかわっていないかという点。実は、大公報の報道の前日の4月17日、メディアを管轄する新聞出版ラジオ・テレビ総局が「メディア報道関係者のネット活動管理を強化する」という通達を発表。そのなかに「許可をえずに勝手に(中国本土以外の)境外メディア(香港やマカオまたは海外メディア)のサイトのニュース情報を使用してはならない」との一項が含まれている。
今回の大公報のニュースは数多くの中国のメディアが引用して報道しており、この通達に抵触している。このため、同総局や、その上部機関である党中央宣伝部が圧力をかけたとの見方が強い。
最後が最大の謎で、本当に習主席が路上でタクシーを止めて、運転手と雑談し、揮毫までしたのかという点。最高指導者のセキュリティに関する問題だけに、通常ならば絶対にあり得ない。となると、報道自体がやはりガセネタとなるが、大公報が取材し報道したということから考えれば、書いた記者は真実と信じていたのではないか。
そのニュースをもたらしたのが当局の息のかかった人物で、習主席の気さくな点を宣伝しようとして、大公報を使って記事を書かせたとみるべきだろう。しかし、あまりの反響の大きさに驚き、大公報に圧力をかけて削除したとの見方が成り立つ。その圧力をかけた張本人が習主席だったという可能性も皆無ではないだろう。