昨年、運動部顧問の体罰がきっかけで高校生が自殺した事件が報じられて以来、体罰と教育、スポーツについての報道が途切れない。どんな悲惨な事故が起きても、必ず「ある程度の体罰は必要」との言葉が聞こえてくる。
言って分からない人間は必ずいるのだから、その人間には暴力でわからせるしかないという理屈だ。それは真実なのか。諏訪中央病院名誉院長で『がんばらない』著者の鎌田實氏が、人は暴力で変わるのかについて論じる。
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人は変わりにくい。が、しかし、人は変わるのである。そのときに、無理な手法を使ったり、強制をしても、人が本気で変わろうと思わない限り、変われないということを、僕は身を持って経験した。
自分も変わりながら、周りの人を巻き込みながら、みんなで、ある目的に向かって変わっていくことが大事である。人を変えるための手段として、古くから暴力が使われてきた。
昨年、大阪市立桜宮高校2年生の男子バスケットボール部のキャプテンが、顧問からの体罰を受けた翌日に自殺した。
顧問は「しっかりやれと叩くことで、部員たちの気持ちが変わり、チームが強くなることがあった」「彼をレベルアップさせることは、全体の向上につながると思った」と語っている。
顧問は懲戒免職になり、傷害と暴行の容疑で大阪地検に書類送検された。
僕は、この顧問は、悪気はなかったと思う。チームを強くしたいという情熱があふれていただけなのだと──。
しかし、亡くなった男子生徒は「なぜ僕だけがしばき回されなければいけないのか」と顧問に手紙を書いていた。けれど、結局は顧問が怖くて渡せなかったのである。
この顧問のスタイルで、2年の男子生徒が変わり、チームが強くなるなんてことはありえるのだろうか。絶対的な上下関係の中で繰り返される体罰は、恐怖以外の何物でもない。
怖くて、その場ではいうことを聞いたような素振りをして自分を守ろうとするのだろうが、本当に従っているわけではない。兵庫県高砂市立中学校の野球部でも体罰が行なわれていた。
その体罰に関してアンケート調査がなされたが、野球部員の保護者会から、体罰がなかったように回答するようにと依頼されたという生徒もいたという。
とんでもない話だ。監督やコーチだけではなく、学校の校長をはじめとして教職員たちや保護者たちも体罰を容認しているのだから。体罰によって、一流の選手は絶対に育たない。その顧問のいいなりの選手が育つだけなのだ。
試合で闘うのは生徒である。自分自身がそのスポーツを好きになり、強くなりたいと願わなければ、強い選手にはなれない。無理やりムチで叩いたところで本物のアスリートは生まれない。
●鎌田實(かまた・みのる)1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。ベストセラー『がんばらない』ほか著書多数。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。
※週刊ポスト2013年5月3・10日号