プロ野球界の大スターといえば、長嶋茂雄や王貞治、イチローなどがすぐに頭に浮かぶだろう。しかしその陰には、彼らに負けずとも劣らない成績やインパクトを残した者たちがいる。普段はあまり光が当たらないが、プロ野球史に確かな一歩を残す名選手の姿に迫る。
誰もが知る名ではないが、プロ野球の歴史をさかのぼると、驚異的な記録を残す投手たちがいる。たとえば、戦前から戦後にかけ、12年間で517登板、237勝を記録した野口二郎(セネタースなど)。1942年には、延長28回を完投(344球)する離れ業を見せ、シーズンでは40勝を記録。打者としても1946年に31試合連続安打を記録する、桁外れの“二刀流”選手でもあった。400勝投手の金田正一氏が語る。
「中京商時代には甲子園の決勝で川上(哲治)さんと投げ合って勝ったとか、ノーヒットノーランを含む4連続完封とか。沢村栄治さんは巨人で活躍したから有名だが、本当に伝説が多かったのは野口さんだな」
そのカネやんが忘れられないのが松田清(巨人など)。
「ワシが新人王をとられた相手だ。1951年、ワシは22勝を挙げノーヒットノーランも達成したが、松田さんの19連勝で話題をもっていかれてしまった」
この年の松田は23勝3敗、防御率2.01。翌年には記録を20連勝に伸ばす。これは今も、稲尾和久と並ぶプロ野球記録である。
「直球のスピードはないが、カーブのコントロールが抜群。ワシもカーブには自信があったが、松田さんのは分かっていても打てなかったね。真面目で、堅物で、不器用な人だった」(金田氏)
投手の最高の記録・完全試合を日本で初めて達成したのは藤本英雄(巨人など)。戦前の記録ながら通算防御率1.90は歴代1位。25歳での最年少監督就任記録も持つ。他には、日本初の奪三振王(秋季に139奪三振)の内藤幸三や、シーズン51先発で現在もプロ野球記録保持者の林安夫の名が挙げられる。
※週刊ポスト2013年5月17日号