長引く不況の影響や親族や地域社会の関係の希薄化、信仰心の薄れなどもあり「小さい葬儀」が主流になりつつある。
「小さい葬儀」が増える理由は、費用面だけではない。「義理で列席した人たちが笑顔で談笑するような葬式は嫌だ」、「本当に悲しんでくれる人だけに集まってほしい」と考える人も多い。葬儀を取り仕切る遺族が会葬者の応対に追われなくていいという利点もある。
しかし、思わぬ事態に困惑する経験者は少なくない。都内を中心に葬儀事業を手がける「ハートフルセレモニー」の米山友介・代表が指摘する。
「隣近所に知らせずに家族葬を行なったら、地域の有力者から『私だけ知らせてもらえなかった』などといわれ、その後の関係がギクシャクしてしまったというケースがあります」
それだけではない。葬儀後に訃報を伝え聞いた友人・知人が、次から次へと自宅に弔問に訪れ、遺族がその応対に追われることも。
「訪ねられれば、どうしても仏前で焼香していただくという段取りになり、茶菓子でも出さなくてはならない。聞かれればその都度、亡くなるまでの経緯や病状を詳しく説明しなければいけません。そうした状況が数か月も続いて、連日の応対に疲れきってしまった遺族もいます」(同前)
呼ばない人に家族葬の訃報を伝える場合は、「故人が家族葬を望んでいた」ことをきちんと伝え、「弔問も控えてほしい」と遺族の意思をくんでもらえるように説明することがポイント。ただし、遺族が考える以上に故人を親しく思っている人や、葬儀への参列を重要視している人がいるのも事実だ。
社会評論などで健筆を振るった故・谷沢永一氏は著作『冠婚葬祭心得』(新潮社刊)に記している。
〈故人がよほどの変り者で、誰とも交際していなかったのならともかく、亡くなったと聞けば捨ておけないという知りあいがかなりある以上、その弔問を一挙に片づけるためには、やはり葬儀が必要である。誰かが亡くなったと聞いた場合、多くの人はなんらかのかたちで鳧をつけ、以てみずから意を安んじたいのである〉
伝統的な葬儀が持つ合理的な側面も忘れてはならない。
※週刊ポスト2013年5月17日号