独居老人、老老介護、孤独死……。急速な高齢化に伴い、高齢者医療・介護問題には暗いニュースがつきまとう。
今後、ますます必要とされる地域ネットワーク。介護ヘルパーのみならず、町のかかりつけ医や往診医が定期的に訪問してくれれば、安心して在宅医療も受けられるのだが、慢性的な医師不足から、それもままならないのが現状だ。
「往診に行くと、働き盛りの息子さんが親の介護をしていたり、70歳の息子さんを90代のお母さんが介護する逆転現象が起きていたりと、いろいろな家族の姿を目にします。中には、家計が苦しいために自分の親の面倒を諦めて、介護ヘルパーの資格を取って他人の親を世話している女性までいて驚きました」
こう話すのは、訪問診療を専門とする板橋区役所前診療所の島田潔院長(44)。同氏を含めて常勤医師8人が月間約2500件の往診患者を抱えている。通院困難な患者の容体に異変があれば、24時間365日対応で診察に駆け付ける。年間100名は訪問先で最期を看取るというから、島田氏がいかに板橋区民にとって掛け替えのない、信頼される往診ドクターかがうかがえる。
「昔、先輩医師にこんなことを言われました。『患者さんから、先生に命を救ってもらいたいと懇願されるより、先生になら殺されてもいいと思われたら名医の証だ』と。私も医者の卵だった時代から、野戦病院のような場所に出向き、より困っている人や苦しんでいる人の診察をしたいと思っていましたので、診察室に籠っているより外に出る往診医の仕事は肌に合っているんです」
そもそも島田氏が医師という職業を志したのは、高校2年生のとき。父から言われた言葉がきっかけとなった。
「キヨシ、昔は人生50年。自分のことかせいぜい家族のことで必死な時代。でも今は人生80年。自分や家族のためだけに生きたら空しいぞ」
父親の名は「亀井静香」。剛腕イメージの強い、あの政治家だ。しかし、島田氏が高校時代、すでに名字は母方の姓に変わっていた。
「私が小学校に上がると同時に両親は離婚しました。当時、父は警察官僚として浅間山荘事件の陣頭指揮を取り、家にはほとんどいませんでした。その代わり、自宅には大勢の新聞記者が情報収集のために押しかけて、『奥さん、奥さん』ってドアをノックする。そんな生活が嫌になって、母は私と兄を連れて家を出ました」
その後、島田氏は母親に育てられ亀井氏とは音信不通になったものの、たまたまテレビに映った政見放送で父親が政治家に転身したことを知り、より嫌悪感を覚えたという。だが、母の健康不良を機に、10年ぶりに亀井氏と再会することに……。
「なにせ10年も会ってなかったので、距離を縮めるのに2年近くかかりました。政治家といえば、立派な職業に見られる一方で、悪の代名詞みたいな存在にもなる。特に父はあのイメージでしょ(笑い)。いくら親とはいえ、久しぶりの再会は警戒しましたよ」
それが父子の会話を重ねることによって、次第に雪解けムードへ。ここでは亀井氏の剛腕ぶりがプラスの作用に働いた。
「会わなかった10年間、息子に男として教えたかったことを一生懸命話してくれる中で、父の苦労を知ったし、ハートもある人なんだと気付きました。議員会館に行くと、陳情に来る大企業の役員は後回し。いくら秘書が説得しても、学生や農家の人たちの話を先に聞くような光景も見ました」
父との関係修復を果たす過程で、政治家とは畑こそ違えど、「人を助ける」理念で通ずる医師への道を選んだ島田氏。帝京大学医学部卒業後は、難民キャンプやPKOへの派遣を志願するも、結局は東京大学附属病院第4内科(高血圧研究室)への就職を決めた。ところが、在籍したのはわずか3年だった。
「帝京から内科の研修医として東大に入局したのは私が初めて。そのまま勤務すればステータスも上がったとは思いますが、出向に出された板橋の健康長寿医療センターで在宅医療にやりがいを感じてしまい、今の診療所を立ち上げることにしました」
板橋区役所前診療所の開院は1996年11月。島田氏は27歳の若さだった。
「父にそのことを報告したら、『せっかく東大に入ったのに……』と、3分ほど天井を見上げて溜め息をついてました(笑い)。でも、『まぁ、お父さんのような波乱万丈の人生も悪くないか。やるからには頑張れ!』と応援してくれました」
最初はパートの看護師と理学療法士2人とともに始めた小さな診療所も、いまやスタッフ78名を抱える大所帯に。
「これまで往診したお宅は板橋区内で5000軒ではきかないかもしれません。ただ、いくら規模が大きくなっても医療は地域密着性が高いので、診療区域を広げてチェーン展開するようなことはしたくありません」
大地よりも広く、海よりも深く、空よりも高く、太陽よりも熱く――。壮大な行動規範をつくり地域医療に邁進し続ける島田氏。冷静で穏やかな受け答えの奥底にあるのは、父親譲りの熱きDNAと揺るぎない矜持に違いない。
●取材・文/田中宏季
●撮影/横溝敦