時代劇ドラマには、時代考証という役割がある。なんとか史実に近くなるようにとアドバイスするが、演劇や物語の歴史の積み重ねから、史実だからと変更しづらくなることもあるという。NHKの大河ドラマで起きた時代考証を妥協した例を、みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が解説する。
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歴史上の事件や人物は、なにもNHK大河ドラマによってはじめて物語と化したわけではない。近代以降は歴史・時代小説や映画によって、無数の事件・人物が取り上げられてきたし、もっとさかのぼれば江戸時代の読本や歌舞伎などの大衆娯楽の多くは、歴史を題材としてきた。
だから、大河ドラマが歴史上の人物を描く際に、すでにさまざまな物語、小説などによってフィクションの肉付けがなされていて、大河ドラマもそれを踏襲したために、結果として史実とは相容れない姿を描いてしまうという場合もある。
平成8年(1996)の〈秀吉〉では、歴史小説や映像作品によって強固に形作られたイメージを、時代考証ではついにつき崩せない場面もあった。秀吉の出世物語を描く上でのエポックとなる、墨俣一夜城の場面だ。織田信長が美濃攻めに苦心していた折り、まだ小身の秀吉が墨俣の地に敵の目を盗んで一夜にして城を築き、美濃攻略の端緒を開いたという、お馴染みの話だ。
しかし、この「一夜城」の存在は、現在の研究ではほぼ全面的に否定され、秀吉の前半生をドラマチックに描くためのフィクションだと考えられているのだ。
ところが、小和田さんが手渡された第6回の脚本は、すでにタイトルが「墨俣一夜城」となっていたという(放送時には「一夜城」)。秀吉の「一夜城話」は人口に膾炙した物語であり、番組スタッフも脚本家も、このエピソードを抜きに秀吉の人生を描くことなど思いもよらなかったのだろう。
その脚本を頭から否定してしまったら、一から書き直しということになるが、現実的には不可能だ。観念した小和田さんは、せめて甚だしい絵空事に見えないよう、墨俣城を石垣や立派な櫓のある「城らしい城」ではなく、柵や井楼が立つ程度の砦のような城にしてくれるよう頼んだという。ドラマを成り立たせるためには、時代考証が妥協することも必要なのだ。
■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年5月17日号